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2014年4月5日

日本に来ています




これは親友のMちゃんが送ってくれた写真です。
(なんと、サンディエゴの桜です)












桜が満開です。荘厳な美しさに、ただ圧倒されるばかりです。

桜景色2014という写真のコレクションがあります。

日本全国の桜が楽しめます。


 

両親が2人揃って同じ老人ホームに移ることになりました。

今は、父が9ヶ月お世話になったケア付高齢者住宅の片づけをしています。

これから、新しいホームへの引越し、実家の整理、改修、賃貸への手続きとプロセスが長いので、手際よく高齢者住宅の片づけを終わらせたいのですが、入居者の方たちが名残を惜しんでひっきりなしに訪ねてくださって、思うように作業が進みません。

こんなに多くの方々に親切にしていただいた父は、本当にラッキーです。

 




2012年8月21日

補習校の大学進学セミナー 

遠くから見ると


近くから見るとこんな感じ



数日前に、補習校で「大学進学セミナー」が行われました。

午前中は、原田先生による「バイリンガル、バイカルチャーであることを子供の将来にどう生かしていくか?」「子供の学力が伸びないことへの不安にどう対処するか。」という講演がありました。

午後は、元ファイナンシャルオフィサーをされていた方と原田先生の対談でした。ぽーと会でもゲストスピーカーとしてお話していただいたことがあるのですが、今回はコラボということで、スピード感あふれる、情報量豊富なお二人の素晴らしさが満載の2時間でした。

夕方は、中学生、高校生を対象にしたプログラムでした。舞台芸術を専攻する今度大学4年生になる学生さんをゲストに、原田先生が「大学の学びの様子」「高校時代の準備」「専攻を絞り込んだ過程」などの質問を投げかけてくださいました。

あっという間の1日でした。

2012年6月8日

楽だ~~!!




数日前の土曜日、息子のスケジュールはいつもの如く複雑でした。

朝は、SAT サブジェクトテストが3科目、終了後補習校、放課後は運動会の準備、友達との集まりと正確な終了時間が予想できない行事がいくつももありました。

こういう時、私は、本を車に積んでは、ひたすら駐車場で息子を待ち、次の目的地に連れて行っていました。駐車場がない時は、近くの喫茶店、モールで時間をつぶしていました。そして携帯電話で、「終わったよ。迎えに来て!」の一言で、駆けつけ、次の場所まで送るのです。

「私って、なんて忠実なしもべなんだ!!」と自画自賛というより、自虐ネタになっていました。

ところが、今回は、朝お弁当を作って息子を送り出し、夕方まで息子に会うことがありませんでした。

なんと、数週間前から息子が自分で車を運転するようになったのです。ずいぶん前に免許を取っていたのですが、心配で親が助手席で監督していました。しかし、息子がどうしても自分だけで運転をしたいと主張したので、ついに自力で運転になりました。

心配は増えましたが、私の生活は劇的に楽になりました。こうやって、巣立ちの時は目にも留まらぬ速さでやってきています。

2012年5月28日

Jくんと仲間たち (6)



このセミナーで一番心を打たれたのは、Jくんと生みのお母さんとの対面でした。

長い間疎遠でしたが、本当に心温まる再会となりました。


お互い心にあるわだかまりも消え、別れ際にはハグをすることができました。3歳の時に撮って以来チャンスがなかった親子写真も今回素晴らしいものが出来上がりました。


お母さんも「今まで生きてきた中で、今日が一番幸せな日でした。もう、思い残すことはありません。」としみじみ話していました。


お母さんは働きすぎて体を壊してしまうほど、長年1人で苦労されてきましたが、息子のJ君が立派に成長し、日本人の血を引く次の世代の子どもたちに話をしてくれて、感慨無量だったそうです。

Jくんとお母さんをを少し遠くから見守るフォスターブラザー、仲間たちの姿が印象的でした。


お母さんは、帰宅してから、Jくんを愛情豊かに育ててくださった里親さんに心を込めてお礼状を書いたそうです。

お母さんから、私へのメッセージもありました。

「ずっと以前から、息子との再会、和解、そして息子を日本に連れて行くことはあきらめていました。あまりにも超えなければならないハードルが高すぎ、埋めなければならない溝が深すぎました。この機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。私にとっては、このような日が来るなど、夢にも思っていませんでした。私は30年前、幼い子どもを抱えた、この国で使える職業的なスキルを持たない貧しいシングルマザーでした。どうしていいかわからず、いくつかの日本人コミュニティーに助けを求めましたが、誰も相手にしてくれませんでした。朝早くから夜遅くまで最低賃金で働き続けた結果、どんどん状況が悪化して、子どもも失いました。情報さえあれば、決してここまでの愚かな選択はしなかったでしょうが、当時助けてくれる友達、ネットワークもなく、真面目だけが唯一の解決策と信じ込み、働き続けました。結局、どん底にいた私を助けてくれたのは、日本人以外のコミュニティーでした。中でも一番私たちの命を救ってくれたのは、不法入国していたメキシコ人たちでした。自分たち自身も困窮を極める中、私の痛みを知り、何とか助けてやろうと奔走してくれました。ぽーと会が、これからも困っている日本人のお母さんたちと子どもたちの砦になっていただくことを、願っています。どうか、がんばってください。」とのことでした。

彼女の言葉の重さを今かみしめています。(ズシ~ン)


2012年5月26日

Jくんと仲間たち (5)


とても嬉しかったことは、お兄さん、お姉さんがみんな口を揃えて

「私たちは、みなさんをできる限りサポートしたいと思うので、いつでもコンタクトしてくださいね。」

「奨学金のこと、エッセーの書き方、なんでも質問してください。」

「インターンシップ、就職のことなら、どんな分野でも相談に乗りますよ。」

と申し出てくださったことです。

心強いメンターができて、感謝です。



親の私たちにとっても、多くを学ぶことができました。

講師の人たちは、みんな20代後半から30代前半で、素晴らしい教育を受け、各分野で現在大活躍しています。しかし、20代前半では、みんな、紆余曲折、試行錯誤を繰り返しています。大学の途中で、海外を巡ったり、みんなが羨ましがるような所に就職しても、どうもあわないと辞めて、振り出しに戻ったり、専攻を替えて、学校に入り直して、時間をかけて「自分探し」「軌道修正」を繰り返して、現在のキャリアを見つけ出してきました。

「これがぜひやってみたい。」という、ポジティブなやり方だけではなく、「数字だらけは苦手だ。でも、経済学ならやれるかも。」という消去法で、少しずつ前進してきて、結局、投資銀行でやりがいのあるキャリアを見つけた人もいます。

若いのに自信に満ち、余裕さえ感じられる皆さんの表情には、「自分自身の目で見つめ」「自分で選び取った」「自分で築き上げた」「自分で納得のできる生き様」を感じさせました。

私たち親は、日本社会で、一旦レールから外れると、それっきりフルタイムの仕事や、社会に戻るのが難しい時代に生きてきました。「自分探し」「試行錯誤」を価値あることとして、20代をゆっくり学びの時、成長の時として過ごさせてくれるアメリカ社会を有難いと思いました。



いつの日か、第二弾をしたいと思います。

2012年5月25日

Jくんと仲間たち (4)


出席していたお母さんから、「美容番長」とニックネームをつけられたCさん,

ヘア、マニキュア、メイク、ファッションを一寸の隙なくばっちり決め、デパートのメイク売り場にいるような、若くおしゃれなお姉さんです。うっとり見とれてしまう華やかさです。

話していると、大声で笑い転げ、周りがぱっと明るくなります。

彼女の本業は、有名大学院で博士号を取り、著名な賞も受賞した科学者です。今も研究所で素晴らしい研究を続けています。

彼女の開口一番は、「みなさんは、親から勉強して、いい大学に入りなさいと言われて育ったでしょ。でも、私はその真逆のことを言われて育ったのよ。勉強なんてしたって、無駄だから、家業の美容室を早く継ぐことが私に期待されたキャリアだったの。」ということでした。

彼女は、小学校の頃から美容室で働き、家族を助けてきました。大学進学も反対されましたが、ちゃんと美容室も手伝うということを約束して、ビューティースクールとWスクールで、ようやく進学することができました。「親は安定した職業だからと薦めてくれているけれど、一生ネイル磨きでは終わりたくない。」という思いが彼女を駆り立てていたそうです。

大学で学ぶ中で、サイエンスが楽しいことに気づき、彼将来科学者になりたいと思いましたが、全く自信がありませんでした。

それでも、なんとか勇気を振り絞って、その第一歩に踏み込むことができました。

研究室の周囲の人たちは、彼女より桁違いに賢く見え、自分には、居場所がないように感じました。 あからさまに、「ここは、君のような人間の来るところではない。」という人までいたそうです。

彼女のすごいところは、その環境の中でも明るく、自分を失わず、着実に力をつけていったことです。 いつのまにか、彼女を馬鹿にしていた人たちを追い越し、学会で賞まで受ける優秀な科学者になっていきました。

彼女からのメッセージは、「最初から超優秀でなくても、そこのスタートラインになんとか潜りこみ、諦めずに努力を続けていれば、必ず花が開く。」ということでした。

2012年5月15日

Jくんと仲間たち (3)


Kさんは、現在ロサンゼルスのテレビの4大ネットワークの1つで財務の仕事をしています。Jくんとは、大学以来の親友です。女優さんかと思うほどの息を呑む美しい女性です。

彼女は、子どもの頃、南の島から家族でカリフォルニアに引っ越してきました。島での生活スタイル、ものの考え方が、カリフォルニアのものとは違いすぎたせいか、彼女は苛め抜かれたそうです。

しかも、本来彼女を支え、親しくつきあってくれると期待した同じ民族の人たちからひどい仕打ちを受け、彼女は大きく傷ついてしまいました。

しかし、Kさんのモットーは、「私が劣っているとか、私がバカだからこれはできないなどと人から言われても、決して信じない。私の可能性は私だけがわかっていることだから。」ということで、ネガティブな意見、辛らつな差別的な扱いをはねのけて生きてきました。

子どもの時の反骨精神は、大人になってからも貫かれています。大学時代は社会学を学んでいましたが、ふとしたきっかけで、大手テレビ局に就職が決まり、数字も苦手、財務など学んだことさえなかったのに、財務にオープニングがあると知ると、「やらせてください。」とチャレンジしたことで、実は自分に合った仕事内容であったと知るようになります。

成功したキャリア以外にも、次の世代を成長させる社会貢献活動事業も立ち上げ、精力的に恵まれない子どもたちへのアプローチを続けています。

彼女は、「自分の殻を破ること。」「自分が心地よいと感じるゾーンからあえて飛び出すこと」を私たちに教えてくれました。

セミナーの後でも、「私たちにできることは、何でも言ってね。私たちはあなたたちを助けるために、ここに来たのよ。これからも、いつでも、私たちを頼りにしてね。」と何度もこどもたちに声をかけてくれていました。

初めて私から「サンディエゴに来て、日本人の子どものために話をしてやってください。」と頼まれ、及び腰だったJくんを励まし、実現に向けてサポートを続けてくれたのもKさんでした。

Kさんとは、個人的にもメールのやりとりをさせていただいているのですが、細やかな心配り、的確な判断力、リーダーシップ、行動力、弱きものへの優しい配慮に圧倒されます。

「艱難汝を玉にす」(苦労や困難を堪えてこそ立派な人間になれる。)という言葉が彼女にはぴったりだと、いつも感動しています。






2012年5月13日

Jくんと仲間たち (2)


Jくんは、以前もお話したように、日本人のご両親の元で生まれましたが、とても不幸なことがあり、11歳の時にアメリカ人のフォスターファミリーに預けられました。

それまで、正規の学校教育を受けるチャンスがなかったJくんは、生活環境がガラリと変わっただけでなく、学力、ソーシャルスキル、スポーツ全ての面で大きく遅れを取っていました。


努力、持ち前の負けん気に加え、フォスターファミリーの惜しみないサポートにより、高校卒業後は、UCLAに進学することができました。

名門私学にも合格しましたが、卒業後の負債の額を考え、州立を選んだそうです。親の助けを全く受けずに、卒業後、苦労してなんとか完済したそうです。でも、本来チャレンジをするべき20代に借金の返済に追われ、するべき経験ができませんでした。「失敗したら、いつでも戻っておいで」と言ってくれる親がいなかったので、思いきった冒険などできるはずもありません。

7年前から、大手映画製作会社で働いています。現在公開中の歴代興行成績を記録した作品の名前を聞くと、出席者の中学生の女の子から歓声が上がったほどです。

私は映画鑑賞が趣味なので、この会社の製作した映画を見るたびに、エンドロールで彼の名前を探します。残念ながら、一度も彼の名前を見たことがありません。

「僕は映画制作のための資金調達の仕事をしているから、裏方の名前は出てこないんだよ。」と笑っています。

フォスターファミリーに預けられた時が既にティーンにさしかかっていたので、子供の頃に受けた大きな傷の回復、他の人にはとっては、意識すらせずに親から学んでいるようなソーシャルスキルなど、身につけなければならないこと、乗り越えなければならない課題が多くありました。

でも、Jくんはあせらず、一歩ずつ欠けたものを埋めようと努力を重ねてきました。

そして、自分と同じような環境で苦しむ若者をずっとサポートしてきました。

彼に出会えたことで、人生が良いものに変わった若者が数多くいると、Jくんの親友が教えてくれました。

J君の目標は、「世の中をより良いものに変えていくこと。僕くらい人生のハンディが大きかった人間もいないだろうから、僕でもやれたということが、他の子どもたちの勇気につながればいいな。」だそうです。

今回のセミナーでも、子どもたちだけでなく、大人たちにも勇気をたくさんくれました。

Jくんは「どんなに辛いことがあっても、死んではだめだ。生きぬいて、ベストをつくしていると、必ず良い日もめぐってくる。」という生き証人です。




2012年5月12日

Jくんと仲間たち (1)



先週、Jくんがフォスターブラザーズ2人と仲間を5人、合計8人で私たちのために話をしにきてくれました。

出身校はUC以外にも, 私立総合大学、リベラルアーツカレッジ、最終学歴も学部から博士課程、現在の勤務先は研究機関、テレビ局、映画制作会社、医療機関、投資銀行とみなさん多彩な経歴です。

Jくんの仲間は、大学からの知り合いで、ずっと一緒に高校生の大学進学、キャリアプランニングをサポートする活動を続けてきたそうです。

J君が11歳の時から一緒に家族として過ごした2人のフォスターブラザーも駆けつけてくれました。血が繋がっていないので、見た目はJくんとは全く違いますが、3人が阿吽の呼吸でコミュニケーションを取っているので、家族として深く繋がっているのがわかりました。温かい目が印象的な兄弟たちです。

現在は、他州に住むご両親も、この日に合わせてサンディエゴに来てくださり、私たちのミーティングの後、久しぶりに家族水入らずで過ごしたそうです。

フォスターファミリー、親しい仲間がみんなで、この度のJくんのセミナーを応援してくださって、うれしく思いました。

今回から中学生の出席者も加わってくれました。以前ぽーと会に参加された方が、「高校生だけでなく、もっと若いうちからお話を聞いておいたほうがいいのでは。特に、今回は全員英語のスピーカーなので、子どもたちにとっても聞きやすいのでは。」とご自分のメーリングリストで回してくださったそうです。

いつも、多くの方に支えて頂いて、感謝感激です。








2012年5月8日

素晴らしかったキャリアセミナー





Table For Two サンディエゴの代表を務める上島 カー 真弓 さんによる、キャリアセミナーが先日開催されました。

私は、ポショと豆のスープを作り、真弓さんがアフリカレストランでサモサをオーダーして持ってきてくださいました。とってもおいしいと評判でした。でも、メニューが豪華すぎて、アフリカの現状には全く合っていなかったかもしれません。

真弓さんの作成してくださった、パワーポイントの資料は、ポスターの写真の下に貼り付けてありますので、ご覧ください。

元戦略系コンサルタントのお話って、ワクワク、ドキドキで、1時間半で5時間分の情報を教えていただいた充実感でした。セミナーが終わると、脳が疲れていました。(軽く眩暈が…)

体育会系大学生活、自分にあったキャリアパスの設定、自分自身の価値を高め、効果的に売り込んでいくスキルを仕事だけでなく、婚活にも使えること、仕事は単に生活の糧だけでなく、良心を具現化していくためのものであることを学びました。

真弓さんの大学の同級生、アクセンチュアの同期、大学院の同窓生たちのその後の活躍ぶり、多彩な経歴を伺い、本当に頼もしく思いました。

30年前に、真弓さんからこのセミナーを受けていれば、私の人生も大きく変わっていたに違いないと、残念に思いました。(涙)

でも、子供たちは、このセミナーを通して、これからスケールの大きな社会人になってくれると期待しています。

真弓さんは、第二子の誕生、Table For Twoの立ち上げ、これまでの製薬業界でのネットワークを生かしたコンサルティングビジネス等、キャリアと私生活をバランスよくこなして、とても魅力的な女性です。

これからも、ぽーと会の子供たち、親たちのよきロールモデルになってくださることでしょう。


サンディエゴでも、この頃 Table For Twoを導入してくれるレストランが増えてきているそうです。
大学でのイベントでも、取り上げてくれていて、日本発の社会貢献のコンセプトが広がりつつあり、嬉しいです。

2012年5月3日

困った癖




ぽーと会を始めてから、困った癖がついてしまいました。

普通は、「人を見たら泥棒と思え」ですが、私の場合は「人と話していたら、セミナー講師に見えてくる」なのです。

話しているうちに、その人の頭の上に「演題」が浮かんできて、さらに「イベント案内チラシ」のデザインまで見えてくるのです。

相手の方が、私に話しかけてくださる中で、「この人に、どんな切り口で話してもらおうか」「この人から教えていただける、テーマのキーワードは、これとこれ。」と妄想が膨らんで、自分自身の中では、既に「勝手にひとり企画会議」が終了しているのです。

それを知らない相手の方は、私にいきなり「空いてる日ありますか?」と、日程確認をされて、すっかり面食らってしまうのです。

この頃は、他の人が、「この人に会ってみたら?」とご紹介くださることも多いので、驚かせる回数が減ってきましたが、それでも人に会うたびに耳をダンボにしては、テーマを探しています。

最近どうも、補習校でわたしを見かけると、目をそらしたり、違う方向に歩いて行ってしまう人がいるように感じるのは、錯覚でしょうか?

2012年4月20日

試行錯誤のポショと豆のスープ

私が作ったポショと豆のスープ

ポショ作りは、力仕事らしい。


正しいポショの食べ方。

明日のキャリアセミナーでは、Table For Twoが援助するアフリカを体験するために、アフリカ料理の試食があります。

アピタイザーのサモサはレストランからケータリングを頼みますが、アフリカの主食ポショと豆のスープは、自分で作ることになりました。

ここ数週間、今まで食べたことのないポショ作りに悪戦苦闘しておりました。講師の真弓さんに伺うと、「とうもろこしの粉をお湯で溶いて、ひたすら混ぜる。そうするとお餅のようなおいしいポショができあがる。」ということでした。

とうもろこしの粉と一口に言っても、グリッツ、コーンミール、コーンフラワーと色々製粉の度合いで違います。色々試した結果、コーンフラワーが一番口あたりよかったです。

「ひたすら錬る」と聞いていたので、お湯をかけて錬っていましたが、いつまでたっても、お餅のようにならないし、おいしくもありません。

真弓さんが動画を送ってくれて、ようやく意味がわかりました。「火にかけて、ひたすら錬る」ということだったのです。

一件落着です。

豆のトマト煮スープも作りました。レシピブックで見たスパイスをいろいろ入れて、なんだかとても不思議な味になりました。とっても、アフリカの味とでも申しましょうか? 今日のぽーと会に来なかったら、二度と食べられない味です。

みなさん、どうか来てくださいね!

2012年4月17日

華麗なるギャツビー パーティー

これをテーマにしたコスチュームって
どうやって手に入れたらいいんだ?!


息子の通う高校では、英語の授業で本を一冊仕上げるたびに、発表とテーマパーティーがあります。

今回は「華麗なるギャツビー」のあとなので、1920~30年代がテーマのパーティーです。数ヶ月前は農夫のコスチューム(ジーンズのつなぎとチェックのシャツに麦藁帽)で苦労したばかりなのに、今度は、裕福な階級のテーマに様変わりで、又衣装探しに奔走しています。

女の子は、ウエストのないストンとしたワンピースに大きな鳥の羽のついた帽子、長いビーズのネックレス(数珠よりも大きいサイズ)が基本だそうです。お母さんかおばあさんのクローゼットを探せば、ほとんどのものは簡単に調達できそうです。鳥の羽、大きいビーズなどは手芸店で簡単に手に入ります。ところが、今回は男の子の白っぽいチョッキ、帽子、長ズボンというので難航しそうです。

息子のワードローブは年間通じてTシャツと半ズボン、ジーンズなので使えません。夫のワードローブもポロシャツ、チノパンツなので、カジュアルすぎます。

夫が大昔サラリーマンになりたてのころは、スーツを着て出勤していたので、その時のネクタイ、ドレスシャツ、洗いすぎて白く変色してしまったチノパンツでナントカごまかそうと思います。さらに、魚釣り用のハンチング帽があったので、洗濯して被れば「裕福な主人公というより、脇役の奉公人が誰かのお下がりを譲ってもらったというセッティング、チグハグでおかしいが、一応その時代に合わせようとした努力は認められる」レベルには達すると思います。(汗)

食べ物も持って行かなければいけませんが、その時代のリッチな人たちのパーティーフードのレシピなんてわからないので、使い捨てシャンパングラスと泡の出るリンゴのジュースを持っていくことにしました。(よく考えたら、使用人は、そんなものは飲まない。)

アメリカで子育てをするって、なにかと苦労が多いのです。(深いため息)

2012年4月11日

アメリカの色々な教育機関で学んでみて感じたこと



数日前に、親対象のぽーと会がありました。

講師の先生は、小さい田舎のリベラルアーツカレッジで2年間過ごし、、ニューヨーク ユニバーシティーで映像専攻で学部を卒業後、ニューヨークのテレビ局で数年働いたあと、UCSDので国際政治で修士を取られたIさんでした。

先月の、高校生とUCSDの学生さんとの交流会で、子どもたちの心を鷲摑みにし、「又、Iさんに会いたい。」というリクエストが多かったので、今度は親に対して、話してくださるようにお願いしました。

小さなカレッジでの決め細やかな教育システム、勉強する喜びを教えてくださった先生方、カレッジでの日々の生活ぶりを伺い、大変興味深かったです。

Iさんは、カレッジで2年過ごす中で力をつけ、その後は大きな大学で学ばれてきましたが、最初の2年間のお陰で、自分を見失うこともなく、素晴らしい学びをされました。

Iさんは、子どものみならず、親の心も鷲摑みにしてしまいました。2時間のセミナーがまるで45分くらいに感じられるスピード感と充実感で、親からの膨大な質問に対しても、てきぱきと的を得た回答を返してくださいました。

特に今回多かった親からの悩みは、特に男の子の親から集中しました。

「あまりに心の成長が遅くて、イライラする。」
「危機感がまるでなく、いつも楽しそうだ。頭の構造がどうなっているのだろう?」
「失敗から学ばせようとは思っているが、今の時期失敗させると命取りになるので心配だ。」
「息子とコミュニケーションを取ろうと思っても、うざいと迷惑がられている。正しい距離の取り方は?」
「息子が何も言ってくれないので、根掘り葉掘りになってしまう。それでも何にも言ってくれない。」
「息子が何を考えているのかわからない。もしかしたら結局何も考えていないのだろうか?」

Iさんは、元男の子の代表として、息子の立場から丁寧に答えてくださり、目からウロコでした。

ニューヨークでのテレビ番組製作の現場の裏話、大学院で政治を学びたいというきっかけになった取材の経験、現在取り組んでいらっしゃる日米での就職活動、映画製作のプロセスなど、話題はつきることがなく、午前と午後、1日プログラムにすればよかったと後悔しました。

この夏は、子どもたちからのたってのご希望にお答えして、「Iさんの作った映画を見るムービーナイト、ポップコーン、ソーダ付き、映画業界、放送業界、政治の分野のキャリアセミナーの特典付き」というてんこ盛り企画も考えています。

2012年4月8日

Falling Whistles











http://www.fallingwhistles.com/main/


J君がサポートしている「Falling Whistles」という活動のプロモーションビデオです。

国際法で禁止されているにもかかわらず、コンゴだけでなく、世界中の紛争地域では今でも多くの少年兵が、誘拐され、強制的に銃を持たされ、殺人者にさせられています。

銃も持てないようなさらに幼い子どもたちは、笛を持たされ、前線に立たされ、異変を察知するために使われます。地雷よけに使われることもあるそうです。少女たちは性的虐待の対象になっています。

J君が望んでいることは、

1.少年兵の存在を知って欲しい。

2.少年兵を救い出すため、そしてリハビリ、カウンセリング、コンゴの生活の目途が立つようにサポートをして欲しい。そのために、笛を買って欲しい。http://store.fallingwhistles.com/collections/whistles

3.一年に一通でいいから、自分にとって大切な人に心を込めた手紙を書いて、このプロジェクトのことを知らせて欲しい。



とのことです。

笛は素材によって$34から$100と価格に幅があります。日本へのお土産にもちょうど手ごろな値段です。全て手作りなので、手元に届くまで、数週間かかるそうです。アクセサリーとしても、自衛の手段として実用的な意味合いでも使えます。そうそう、季節柄、現地校の先生の感謝のプレゼントにもいいですね。


ハリウッドスターの中でもこのプロジェクトに参加している人が多いです。

2012年4月6日

J君 (4)



J君は今年の夏、私と息子と3人で日本に行くことになりました。

J君の親御さんは日本人ですが、事情があり、一緒に住むことができなかったくらいですから、J君はみかけだけが日本人で、言葉も文化も知りません。日本に一度も行ったことがないだけではなく、アメリカの日本人コミュニティーとも全く接点なしに暮らしてきました。里親さんは、愛情いっぱいに彼を育ててくれましたが、学校、近所といった周囲の人たちから、日本人ということでひどい差別を受けて苛められたそうです。日本人としての心のよりどころや誇り(文化、親からの愛情、言葉)がない中で、日本人として苛められ続けたことが、トラウマになってしまいました。

日本人として根っこのないことが、彼の心の大きな闇と空洞になっているに違いないと思い、「私たちと一緒に日本に行ってみない?」と誘いました。「クレイジー」と一笑に付されるに違いないと思っていたら、「行くよ。」と即答でした。

日本のご親戚で会ってもいいと申し出てくださる方もいて、感謝です。私と息子はJ君を待ち合わせの場所に連れて行き、通訳をすることになりました。親族の方と素晴らしい時を過ごしてくれると思います。自分に容姿の似た人を見ることで、ルーツを確認でき、安心するではないかと思います。

私のホームグラウンド広島の家族、親友たちも本当に喜んでくれて、J君がどうしたら日本を楽しめるか色々計画を練ってくれています。宮島の鳥居、瀬戸内海を一望できる宿など、手分けをしてリサーチしてくれました。

両親は、下見もかねて、料理屋さんに試食にまで行ってくれました。「日本へようこそ!! J 」というメッセージ付のケーキのオーダーも受け付けてくれると喜んでいました。

外科医の兄は、重篤な患者さんがいなければ、数日病院を休んで、広島空港に迎えに来てくれて、どこでも好きな所に車で連れて行ってくれると申し出てくれました。J君が一人で泊まるのは寂しいだろうから、一緒に泊まってくれるそうです。J君が英語の得意な兄とくつろいでくれるといいなあと思います。内科もこなせるガイドさんなので、道中、骨折しても、風邪を引いても大丈夫です。(そんなことがあっては困るけど)

みんなが「彼は今までたった一人でアメリカでがんばったんだから、日本に来たときくらいは、私たちに任せといて!甘えてもいいんだよ!」とJ君が喜びそうな企画をしてくれています。

私たちは、血は繋がっていないけれど、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんとして、J君の日本での根っこになってあげたいと、「チーム J」を結成しました。

J君が喜べることをみんなで相談していると、うきうき、わくわくしてきます。私たちに幸せを運んできてくれたJ君はありがたい存在です。私たち一人一人の心の奥深くに潜んでいた「優しい気持ち」「誰かを大切に思う気持ち」を引っ張り出してくれました。

ありがとう!!

2012年4月5日

J君 (3)




J君が高校生に伝えたいことが膨大にあるので、なかなか企画が絞り込めません。ポットラックもするので、正味2時間ほどで、どれだけの内容をカバーできるかが問題です。

自分だけでなく、職場の同僚、ボランティア活動の仲間、フォスターブラザーたちも呼んで、一緒に話してもらいたいそうです。

彼が強調するのは、自分のメンターを持つ大切さです。親以外にアドバイスしてくれる人がいることで、進学、就職、キャリアの中でどれほど助けになることでしょう。アメリカではメンターの制度が整っていますが、残念ながらアメリカの日本人コミュニティーの中ではまだ存在していません。

J君が強調するもう一つのことは、色々な人種、民族の人たちとつながって、ネットワークを作り、切磋琢磨して共に力をつけていく大切さです。

5月のイベントまでまだ時間があるので、もっと内容を煮詰めていかなければなりません。

「J君、これまで生き延びてくれて、本当にありがとう!!そして、今はこんなに立派になって、若者を励ましてくれて、おばちゃんはあなたのことを誇りに思っています。これからは、ぽーと会の子供たちのよきメンターになってくれるとうれしいです。私はあなたのメンターにはなれないけど、話を聞くくらいならできるので、いつでもご飯を食べにサンディエゴに遊びにきてね。」と話しています。

料理が苦手なくせに、人を呼んでしまう、私の悪い癖が又でてしまうのです。

2012年4月4日

J君 (2)




なぜそこまで、子供たちの状況が知りたいのか、それには訳があります。

J君は、週末には貧困層の高校生が大学に進学し、人生が開けるようにサポートを続けているのです。ですから、高校生の抱える問題の本質を理解しなければ、適切なアドバイスができないことを知っているのです。

彼のモットーは「どんな辛いこと、不幸なことがあったとしても、それを良きものにして変えて、人生を豊かにすることができる。」です。

彼自身、血のつながった家族の中で残念なことがあり、フォスターファミリーに育てられるという困難な状況を経験しました。家族の中でも苦しみ、里親に引き取られた後も辛いことが多く、ずっと死にたいと思い続けたそうです。

その彼が何とか生きてこられたのは、里親をはじめ、時々出会う大人たちが、彼を慰め、力づけてくれたからでした。彼は、人から受けた親切、愛情を今でも忘れていません。ですから、血はつながらなくとも、大人が手を貸すことで、子供たちの人生が良い方向に変わっていくことを身をもって体験しているので、今度は自分がティーンエージャーへのサポートを続けているのです。


現在は、コンゴの少年兵の問題にも積極的に取り組んでいます。本来子供時代は、大人から守られ、愛され、心身の成長をはぐくむべき時であるのに、「大人の兵士が不足している」とか、「子供の方が簡単に洗脳され手早く兵士として使える」という理由で銃を持たされ、人を殺すように強制される子供たちに対し、J君は心を痛めています。「宝物のような子供時代を失うことが、一生のなかでどれほどの痛手と損失になるか自分にはわかる」そうです。

彼は、少年兵ではありませんでしたが、大人の都合で、幸せであるべ子供時代の大半を失いました。「恐怖」「混乱」「深い悲しみ」「痛み」の中で育った経験を彼から聞いた時、私は胸がつぶれそうになりました。彼は、その痛みを知るからこそ、他の子供たちの夢や将来をサポートしたいと思っていることがわかりました。

「僕が手助けすることで、子供たちが将来に夢を持ち、未来に向かって歩んでいるのを見ることで、自分自身も力づけられてきた。僕の自信にもなった。これからも、子供たちの幸せを後押ししたい。僕に出会ったことで、人生が良い方向に変わったと若い子から言ってもらえるよう、これからも頑張りたい。」と熱く語っています。

J君 (1)



5月のセミナーは、「他の民族の人たちと仲良くなって、ネットワークを広げよう。」[辛い経験を乗り越えて、それをよきものに変えて、自分の強さにし、その強みを使ってよりよい世の中にしよう!」がテーマです。

このセミナーの中心となって企画してくれているのは、J君といいます。UCLAを卒業後、大手の映画、テレビ製作会社に就職し、今は大きなプロジェクトを任されています。

「僕は、人の何倍も努力するし、成功への思いが強い」と自分で言うくらいですから、仕事ができるのです。

ですから、J君には「エンターテイメント業界」「デジタル部門のお仕事」「ハリウッドの舞台裏」「アジア人としてアメリカ企業で出世する秘訣」を話してもらおうかなあと考えていました。

Jの方から「話をするにあたり、聞き手の子供たちのことをもっと知りたい。」と質問されました。

「子供たちはアメリカで生まれ育ったのか?どのような家庭環境で育ってきたのか?」「日々の生活の中で、どのような問題をかかえているか?」「将来のプランはどのように本人たちは考えているか?」など、すぐには答えられないような質問もありました。

2012年4月1日

うれしいお知らせが続々

お友達が送ってくれたカールスバッドの花畑の写真
写真もきれいですが、実際に歩いてみるとスケールの大きさに圧倒されます。


最近、シニアのお子さんのお母さんたちから嬉しい合格のお知らせをいただきます。

家族で頑張ってきたのを間近で見てきたので、私もわがことのように喜んでいます。

これから、パッケージを検討し、アドミッションオフィサーと折衝を重ねていく予定の人もいますが、すでに決めている人たちもいます。

決め手になった理由はいろいろあります。
「子供の頃からあこがれていたから。」「やりたい分野の勉強がここでできるから。」 「コーチが感じがいいから。」「チームで活躍できそう」「メリットスカラシップが手厚い」「オナープログラムに感動した。」「5年間で修士が取れる。」「在校生と話してみて、本当に楽しい大学生活が送れそうだと思う。」「海外プログラムに魅力を感じ、ここしかないと思った。」など、人それぞれ違います。

自分の努力はもちろんのこと、ご家族、先生方、コーチ、友達みんなに支えられて、合格にこぎつけました。勉強だけでなく、スポーツ、ボランティア、リーダーシップ、アルバイト、と目いっぱい頑張ってきた子供たちとご家族に、心から「おめでとう!!!」と言う今日この頃です。