2014年2月27日

サンディエゴから日本の親の老後を見守る






昨日、「備えあれば憂いなし - 日本の親の老後をサポートする方法」というテーマで、Tさんと私が経験をシェアさせていただきました。

Tさんは、親御さんの見守る体制を一つのプロジェクトとして立ち上げ、遠隔介護とアメリカでの家庭生活を両立させてこられました。アメリカサイドで残された家族をサポートするシステム、そして、日本サイドで弱ったご両親を見守るシステムをリサーチされ、構築され、今までは自分でお湯も沸かせなかったお父様が1人暮らしをされ、圧力鍋で焼豚を作れるようになるまで(!)家事スキルを上げ、快適な老後を楽しんでおられます。

Tさんから私たちが学ぶべきことは、「やるべきこと」と「感情面での軋轢」をきちんと仕分けし、サクサクなすべき仕事をこなしていかれたことです。

一方私は、やるべきことをこなす中で、母のプライド、主導権を誰が取るかという感情面がからまって、バトルに発展してしまい、大きな傷を残してしまいました。

やはり、いったん事が起こってから、アクションを起こすのは、無駄な動き、お金、必要のない争いを招いてしまうので、事前に家族間で話し合い、備えておくことが重要であると、改めて学びました。


私が今回の母の事故からはじまった一連の動きから学んだことは、"Misfortunes seldom come singly" (災いはひとりでは来ない)ということです。


母の怪我、手術、入院だけなら、冷静に丁寧に対応できたことでも、「父の介護」「父の受け入れ先探し」「退院後の母の生活の安全確保」「家の改築」「介護保険関連のミーティング、手続き」「日々の家事」「父の引越し」「母の見舞い」「アメリカに残してきた夫の健康の心配」「夫の転勤とそれに伴う、住宅改築、売却、引越し」「息子の大学入学の手続き」「息子の引越し」といった一連の作業、デシジョンメイキングを炎天下35度の中でこなすことは、困難なことでした。


私が病院、役所の介護関係の窓口だったので、「この情報を娘さんにお伝えした以上は、今後はあなたの責任において、きちんと対応してください。これからのご両親の安全はあなたにかかっています。」という公のプレッシャーも強かったです。患者本人は、自己責任で何でもできると思っていますが、医療、介護の立場の人たちは、家族が責任を負うべきというスタンスで対応されています。


万全に備えることは無理でも、健康な時に「非常時の対応についての意思を固め、家族全員に伝えておく」「コンタクト先のファイルをまとめる」「銀行関連など書類の安全確保」など日々の生活の中で備えられることは、しておかなければならないと、痛感しています。




出席者の皆さんからも、「今後も継続してこのテーマを取り上げて欲しい」「今まで、心配をしていたが、どこから手をつけていいかわからなかったので、生の声が聞けて嬉しかった」「認知症を患っている日本の親をどのようにサポートしていいかわからない」「セミナーが終わり、帰宅し、すぐに日本に住む兄弟に電話して、母をサポートしてくれてありがとうと感謝のメッセージを伝えました。」などと、色々なコメントを頂きました。

出席してくださった皆さんありがとうございました。そして、介護をプロジェクトとして捉えるコンセプトを教えてくださったTさん、目から鱗情報、感謝です!これからも、色々教えてくださいね。

 

 



2014年2月25日

第2回 SDJEN主催 高校生ホームステイ体験プログラム 準備近況報告




「第2回SDJEN

サンディエゴ高校生ホームステイ体験プログラム」


準備近況報告





1ヶ月後に迫ったホームステイプログラムは、ホストファミリーも決まり、10日間の日程も多くのボランティアの協力のもと殆ど決定いたしました。

今回福島と岩手から参加する二人も渡米のための準備がちゃくちゃくと進んでいるようです。このプログラムを通して二人の体験すべてが大きな学びとなり、帰国後も地元の皆さんに希望や勇気を与えることと期待しています。そして、この二人との出会いがサンディエゴの我々にも大きなモチベーションを与えてくれることになるでしょう。

ホームステイ期間は3月25日(SD着)から4月5日(サンディエゴ発)です。滞在中は、高校、UCSD訪問、近郊への小旅行、ボランティア活動、キャンプなどさまざまな活動に参加して、アメリカの文化や社会への理解、国際意識を高めます。

お時間のある方はSD空港JALターミナルでの出迎えにもご参加ください。

3月25日(火)11AMに集合です。



なお、4月4日(金)6PM~8PM、「参加者2名を囲む会」を開催いたします。


場所:Highpoint Church:6090 Santo Road, San Diego。


参加は無料です(ただし、ポットラック形式)。皆さんのご参加お待ちしております。是非この機会に被災地からの生の声を聞いてください。


詳細は後日送付いたします。


微力ではありますがSDJENメンバー、ボランティア共々、このプログラムの成功を目指して一所懸命頑張りますので、今後とも皆さまのご支援ご協力をよろしくお願いいたします 」。

San Diego Japanese Emergency Network(SDJEN)
www.sdjen.org/jp

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San Diego Japanese Emergency Network

2014年2月24日

東日本大震災 追悼式のお知らせ


SDJENさんからお知らせをいただきました。今年もサンディエゴで追悼式が行われます。



東日本大震災 追悼式のお知らせ

主催:San Diego Japanese Emergency Network(SDJEN)

 

2011311日に発生した、東日本大震災犠牲者及びご家族への祈りの集いを行います。

皆様お誘い合わせの上、出来るだけ多くの方のご参加をお待ちしております。
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日時:39(日曜日)  

集合18:30 ~ *注:サマータイム切換え当日です。時計を1時間早める事、お忘れなく。
尚、準備スタッフは18時までにお越し下さい。

場所:South Mission Beach Park, North Jetty Rd, San Diego


            

*上記地図の(A)地点、駐車場あり。

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備考:

今年は、LEDのキャンドル(グロウスティック)SDJENで準備する予定です。

ビーチに思いを込めた文字を描きます。
飲み物や食べ物は、こちらでは用意致しませんので、必要に応じ各自用意してください。

尚、現地は寒いかもしれませんので、暖かい恰好でお越し下さい。

また、必要に応じビーチチェアー等をご持参下さい。
その他、お問い合わせは下記SDJEN事務局までお願い致します。

 

SDJEN 事務局 760-731-0812


2014年2月21日

自然を甘くみていたかも



私が中西部でドライブしていた時に、危うく雪に埋もれて凍死寸前になったということを以前書きました。

その事故があった翌日、ミネソタに住むアンの所に泊まりに行って、顛末を話しました。「何でその時、すぐに私に電話してくれなかったの?」と聞かれたので、「たとえ電話を受け取ったあなたが大慌てで何時間も雪の中をドライブして駆けつけてくれたところで、遺体確認しかできなかったよ。」と言うと、「確かにそうだったかも」と納得しました。

今は、訪問看護婦として働くアンも、私と同じような目に遭った事が何度もあるそうです。特に、郊外に住む患者を訪ねる時には、細心の注意を払っていても、遭難する可能性があるので、彼女も同僚も冬の仕事は、本当にストレスレベルが上がると言っています。

私は、温暖なサンディエゴに長年住んでいたので、自然を甘く見てしまい、車、GPS,携帯電話といった電子機器に依存し、基本的な危機管理ができていなかった面があったと反省しています。


2014年2月17日

痛みをわかちあうこと



先日、ぽーと会のメンバーから電話を受け取ったKさんは、心配してすぐにお家を訪ねてくださったそうです。

2人で話し、一緒に祈り、平安な心を取り戻せたそうです。

自分の苦しみ、痛みを私たちにシェアし、「私の失敗談が他の家族の役に立つなら、いつでも出向いて行くので、声をかけてね。」とおっしゃってくださるKさん、本当にありがとうございます。

誰にも相談できない悩み、どうして解決していいかわからない問題に出会った時に、対応してくれる場所がないことは、海外で子育てをする私たちにとっての共通した悩みです。今後もぽーと会の課題にしたいと思います。


2014年2月15日

早朝の電話

週末の朝早く、電話が鳴りました。以前からぽーと会に出席されていた方からです。

「朝早くからごめんなさい。3年前にスピーカーをされたKさんとどうしてもお話がしたいのです。セミナーのあと、電話番号を頂いていたのに、失くしてしまいました。教えていただけませんか?」という問い合わせでした。

Kさんは、私たちに「日本人の親とアメリカで育つ子供との間で起こる摩擦」について体験談をシェアしてくださいました。出席者一同、涙、涙でした。



思いつめた声だったので、心配です。


どうか、解決の道が見つかりますように!そして、これからもぽーと会では、引き続きこの問題に取り組まなければならないことに気づきました。経験者だけではなく、プロの先生にもお越しいただき、教えていただきたいと思います。












2014年2月13日

サンディエゴから日本の親をサポートする方法



「備えあれば憂いなし -
サンディエゴから日本の親をサポートする方法」

今回のぽーと会では、誰もが避けては通れない親の老後、介護をとりあげます。

日本の親が私たちのサポートが必要になれば、たちまちアメリカの家族、特に子供たちの日々の生活をどうやって回していくかが大きな問題となります。

今はお元気な親御さんも、突然体調を崩されることもあるので、今のうちから準備できることはないか、それぞれのご家庭の状況に応じて、考えるきっかけになることを願い、企画しました。2人の経験者がシェアさせていただきます。


 子供として、具体的に、どのようなアクションをとればいいか

 介護をしながら、子供の教育、アクティビティに支障が出ないためにはどうすればいいか(子供をアメリカに残すか、日本に連れて行くか?)

 親が元気なうちから準備できること

 備えていなくて、でたとこ勝負になり大失敗をしてしまった経験談


みなさまのご参加をお待ちしております。

 

   【日時】 2月26日(水) 10時-12時

   【参加費】110ドル 

   【場所】学習塾 Pi:k 


2014年2月12日

生きているのが不思議





中西部にいた時、私はほぼ死にかけました。


どうしても夕方運転しなければいけない用事ができて、見知らぬ道路を運転していたら、雪で標識が見えなくなって、真っ暗な田舎で道に迷い、挙句に雪に埋もれて車が動かなくなりました。

家も店もない辺鄙な村で、車も通りません。助けを呼ぼうとしても今自分がどこにいるのかさっぱりわかりません。何とか携帯電話で牽引のサービスを呼ぼうとしましたが、その日は私以外にも雪に埋もれた人が多いらしく、いくら待っても繋がりません。そのうち携帯のバッテリーが切れそうになりました。

あたりを見回しても、助けてくれそうな車、人は見つからず、どんどん体が冷えてきて、頭が痛くなってきました。夕方の段階でマイナス15度だったので、夜になったらマイナス20度くらいにはなっていたはずです。

もう余り長くは生きていられないなあと思っていたら、奇跡的に向こうからライトが近づいてきたので、「たとえこの人が殺人犯でも、ここで凍死するよりはいいだろう」と思い、助けを求めました。その人は、夜勤が終わった娘さんをこれから迎えに行く予定だったのですが、娘さんにに職場で待つように電話してから、私を救助してくださいました。


牽引サービスの電話はやはりつながらなかったので、警察を呼んでくださいました。しばらくして、若い女性の警官が駆けつけてくださり、パトカーの中で1時間以上救助がくるまで待たせていただきました。

「ここはローカルの人にとっても雪に埋もれやすい場所で、とても危険なのです。」と慰めてくださいました。


本当に危機一髪でした。このことを通して、人の命はなんとはかないのだろうとつくづく思いました。病気、怪我、事故、私たちの日々の中では様々な危険が潜んでいて、1日1日生きていることが奇跡のようです。


私の命を救ってくださった方々に何もお返しはできなかったけれど、いつの日か私も別の人を助けることができればいいなあと願っています。






2014年2月10日

お仕事シリーズ 第一弾 カイロプラクティックドクター 




ぽーと会はこれまで、子供たちがキャリア・進路について考えるきっかけとなるような、子供向けのセミナーをしたいと考えてきました。

そこで今年から「お仕事シリーズ」と題して、様々な職業の方をお呼びし、お話を伺うセミナーを開催することになりました。

22日(日)、その第1回のスピーカーに、カイロプラクティック・ドクターの木野真一先生(keynotechiropractic.com)をお迎えしました。

この日の会がいつもと違ったのは、何と言っても「体験型」の会だったことです。

木野先生が、診察台、背骨の模型を会場に運んでくださったので、子供も大人も、診察台の周りに集まり、今自分が抱えている体の不調や、肩、腕、腰の痛みなどを先生に訴えては、治療のデモを受けたり、解説をして頂いたりしました。 これが大人気で、「次は私に!ぼくに!」と行列が出来ました。

このときの子供たちの瞳はキラキラと輝いて、興味津々の様子が大人たちにも伝わってきました。

その後、九州での腕白な少年時代のエピソードに始まり、先生の波乱万丈な半生について、写真入のスライドでお聞かせ頂きました。 先生の爆笑トークに、子供たちの素朴な質問、ユニークなつぶやき、突込みなどが絡み合い、会場は和気あいあいとした空気に包まれました。

また、背骨の模型やビデオ写真、表を使って、「カイロプラクティックとは背骨のゆがみを治すものである」こと、「姿勢を良くすることがいかに大切か」ということが、子供たちにも良く分かる形で教えて頂きました。

なんと、参加してくれた小学生の中には、自分の症状を表と照らし合わせて、「僕の頚椎のうちC5がゆがんでいるのではないですか?」と自己診断して先生に診察をお願いしたお子さんも現れ、とても嬉しい驚きでした。

また、「カイロドクターだから知っているユニークな勉強法」も、学校や他の場所では聞くことの出来ない、とても興味深いお話でした。


・・・・・木野先生が今日のこの会のために作ってくださったスライドのタイトルは、「みらいのおとなたちへ」でした。

子供たちのキラキラした目の輝きを見て、この日の会で木野先生と過ごした時間、先生に伺ったお話は、まさしくそのタイトルどおり、彼らの未来への大きな大きな種まきになったと確信しました。

木野先生、参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました!


2014年2月7日

1日1日が尊いギフト

せっかく中西部に来たので、休み中の息子とドライブして、ウイスコンシン州の親戚を訪問しました。

従弟のニッキーは、前期の成績がイマイチだったので、家に強制送還されていましたが、新学期は親に頼み込んで寮にお試しで戻っていました。ベッドが空いていたので、息子はニッキーの寮に泊めてもらいました。「ウイスコンシン州大学の寮のご飯はおいしいけれど、ジャンクばかりで、健康に悪そうだ。さすがに酪農の州だけあって、乳製品のおかずが多い。」とコメントしていました。実際にニッキーは数ヶ月で既に5キロ太ったそうです。

息子の大学は、ごはんが美味しいので有名な大学ですが、ベガン、オーガニックなどこだわりすぎて、味のわからない学生にはハードルが高く、舌の肥えていない息子たちには「健康すぎておいしくない」と感じられるメニューが満載で、息子はかえってやせてしまいました。私にとっては、「キヌアサラダ」「雑穀からできたミートボール」などレシピを教えていただきたいようなものばかりで、あれこれ食べてお腹いっぱいになってしまいます。

何度も癌の手術をしたニッキーのお父さんのデイビッドは、生物の先生として、フルタイムで教えています。内臓だけでなく、片目をえぐられ、顔の骨も半分切り取られてしまいました。聴力も弱くなりました。

それでも、ユーモアを忘れず、いつもニコニコしています。「1日、1日が尊いギフトのように感じられる」という言葉を聞いてじんときてしまいます。

夫として、父親として、教師として、みんなの心に良い種をたくさん撒き続ける彼の生き様をみていると、私もぼんやりしていられないなあと反省することが多いです。








2014年2月4日

コネクトしつづけること


 









なぜ突然私が中西部の息子の大学に来ようかと思い立ったのは、ミネソタに住むアンさんの電話でした。

彼女は、寒くなると家族でサンディエゴに来ていたのですが、2年前に長男のポールがフェニックスに転勤になり、冬になると家族でそちらに行くようになって、私のところに来なくなりました。

先週電話をかけてきて、「2月はロビー(次男)と両親でフェニックスに行き、3月はジャスティン(3男)の大学の休みに合わせて家族全員でキーウエストに行くんで、今年もサンディエゴはパスすることになったから、代わりに恵子がミネソタに来ればどう?あなたは、寒いのが好きだったでしょう。」と誘ってくれました。

アンは、大学生、社会人になった息子たちと本当にマメに時間を作って会うように努力していて、いつも感心します。自分自身も看護婦さんとして忙しく働いているにもかかわらず、家族(両方の親、子供たち、兄弟、姉妹)と時間を過ごすことを最優先しています。

「子供は、放っておくと、ドンドン離れて行って、帰ってこなくなるよ。困った時に助けてやりたくても、距離が離れすぎると、向こうから助けを求めることもなくなるから、親はいつでも子供の味方で、子供のためにここにいるよって、メッセージを送り続けることが必要だから、とにかくお互いの時間を見つけてバケーションを一緒に取るべき。ちょっとした変化も見逃さないように。」というのが、彼女の持論です。

大学に入学したらもう独立したものとみなし、私と夫はなるべく息子と距離を置こうとしていましたが、大人になっても子供となるべくコネクトしつづけなければいけないと、考えを改めました。



2014年2月2日

拍手喝采


今回の行きのフライトは過酷で、夜通し飛行機に乗ったり降りたりしました。

どの便も中途半端に2,3時間で到着するので、ほとんど眠れませんでした。でも、一生忘れられないようなフライトになりました。

夜12時に出発した、フェニックス発フィラデルフィア着のUSエアーでのことです。水平飛行になるかならないかのうちに、私の席の5つ前の乗客が座席から、床に落ちて、動かなくなってしまいました。すぐに「病人が出ました。医療関係者の方はお申し出ください」というアナウンスがありました。間髪を入れずに、二十歳そこそこに見える若い青年が「救急隊員です」と飛び出してきました。その後すぐに、「リタイヤーしましたが、以前は看護士でした。」というおじいさんが加わりました。すぐに、救命のための準備がはじまり、機材が運び込まれました。

青年とおじいさんのてきぱきとした対応を、私たちは祈るような気持ちで見守っていました。一心不乱に救命処置をする2人の姿はオーラがさしているように見えました。きっと、この人たちは、火事などの大惨事のさなかでも飛び出して行って、自分自身の身の安全より救助することを選ぶんだなあと思いました。

そのうち病人は意識を取り戻しました。その後、飛行機の電話から病人の主治医の先生に電話をかけ、(いつもは、パイロットと連絡している壁かけ電話)報告と指示を仰ぎました。青年もおじいさんも決してあわてることなく、しかしスピーディーに機内を駆け巡り、必要な医薬品、器具を探し出し、注射打つなどの処置を続けました。



着陸直前に、「お2人のお陰で無事に患者さんは意識を取り戻し、これからフィラデルフィア空港の消防隊員によって搬出されます。ご協力ありがとうございました」というアナウンスメントがあり、乗客全員が割れんばかりの拍手で2人をねぎらいました。


飛行機を出たところで、消防隊員との引継ぎが行われ、その後2人は何事もなかったかのように、他の乗客と共に、スタスタ歩いて次のゲートに向かっていました。
私たちの日々の生活って、こういう名もないヒーローたちに支えていただいていることを思い出させてくれた、目頭の熱くなるフライトでした。