2013年6月27日

オンライン格安切符



母の怪我、手術、リハビリで急きょ帰国を延ばすことになりました。

オンラインで激安切符を買っているので、本当にめんどくさいプロセスでした。

発売はOrbizという会社、航空券の発券はユナイテッド航空、使用機材は全日空、しかも、サンディエゴ~ロサンゼルス、 ロサンゼルス~成田、成田~広島の3区間すべて料金体系が違うので、予約のやり直しは大仕事です。

親族の突然の手術ということでお医者様からの診断書を書いていただき、それをFaxで(懐かしい!)ユナイテッド航空に送り、ペナルティーを最小限に抑えることができました。

しかし、私たちが帰国を予定している7月末からはスーパーピークシーズンで料金がドンと上がる上、座席が取りにくくなっています。

ようやく7月末に息子の席、8月初めに私の席を確保することができました。息子の差額分は800ドル(片道!)私の差額分は2000ドル以上かかるので、新たに広島~サンディエゴを往復買い、まだ使っていない帰りの片道切符は秋以降に使うことになりました。つまり私のチケットは二重構造になってしまいました。8月の広島~サンディエゴの片道の差額より、広島~サンディエゴの単純往復(しかも全日空)の料金の方が安いのって、不思議です。

激安切符を買うリスクってこういう時にあらわれるのだなあと、ため息をつきました。



 

2013年6月25日

ついに来た!


ここ数年、日本人のお友達と集まると、「遠距離介護」「離れて住む親のサポート」の話しが良く出ていました。年に何回も日本とアメリカを往復している人も何人もいました。

私も息子が幼い頃から、親が私のサポートが必要になったら、子どもを連れてすぐに日本で手伝いができるよう、子供がすぐに日本の学校に馴染めるくらいの日本語能力を目標にしてきました。子どもの日本語能力は、介護の準備の大切な要素でした。

実際、息子が小学校2年生の時に母が3カ月入院したときには、ご近所の公立学校にお世話になり、本当に感謝でした。


さすがに、中学、高校になると、近所の公立学校に受け入れていただくことは難しくなり、寮がついた、海外からの受け入れに慣れている私立学校にお願いできるよう準備をすすめていました。

高校の最終年度は、大学受験の準備があるので、どうかこの年だけは親が無事でいて欲しいと祈るような気持ちで過ごしました。

ようやく大学が決まり、ホッとしていたら、母が怪我をしました。


今回は、突然母が転倒し、骨折し、手術が必要になり、高齢の父の世話も加わりこの10日間てんやわんやでした。

 

2013年6月16日

ブログ夏休み


しばらくブログを夏休みにさせていただきます。

みなさまも、どうか素晴らしい夏をお過ごしくださいね!

 

2013年6月13日

息子の就業体験


 この夏は、日本の滞在は短めに切り上げ、息子はアメリカでアルバイトをする予定でした。ところが、高校生でもできそうなファーストフード、スーパー、日本食レストラン全て全滅で、困っていました。アメリカは子供の数が多い上、仕事をすることが一般的なのか、とても競争率が高いので、お友達の紹介があっても、なかなか仕事にありつくことができません。マネージャークラスの人のコネでもあれば可能だったかもしれないバイトの口も、親子でそんな知り合いはいないので途方にくれていました。

 ところが、日本はまだまだ夏休みが始まっていないし、地方都市には若者がいないので、職を選ばなければ息子でもできそうな仕事がたくさんあります。倉庫の作業、コンビニ、レストラン、ファーストフード、清掃、冷凍庫の積荷、皿洗い、深夜のお弁当の製造など、採用してもらえるかどうかはわかりませんが、とりあえず求人はたくさんあるのです。

 幸運なことに、スマホ、タブレット大好きな息子は今週から携帯電話の会社で販売アシスタントをさせていただいています。先週2日間の研修が朝から夕方まであり、基礎を学んだそうです。

 実はその研修は選抜も兼ねていて、研修後のテストに合格しなければ仕事をゲットすることはできなかったそうですが、息子を別枠で残してくださいました。

 まさか日本で仕事場に行くとは想像していなかったので、アメリカからTシャツと半ズボンと運動靴とゴムのサンダルしか持って来なかった息子は、あわててユニクロで白のシャツ(3000円X 2)、黒いズボン(2500円)、靴の流通センターで黒のビニールのリクルートシューズ(3500円)を買いました。

 それ以外にも毎日電車で1時間かけて通勤するので、交通費、昼食代、蒸し暑い日本をサバイブする飲み物代と何かと物入りです。でも、お金には変えられない貴重な経験をさせていただいています。

 とりあえず、息子は毎日楽しそうに働いています。毎日会計、マーケティングなど色々なフィールド経験をさせていただいて感謝です。

 実際に現場で一生懸命働いていらっしゃるみなさんの様子を見せていただくだけでも、大きな刺激になることでしょう.


 

2013年6月10日

空飛ぶだんご かっこうだんご

 
 
左は4代目店主の千葉さん、右は初代店主
びっくりするくらいそっくりです
「どうせなら同じように赤い帽子とチョッキを着ればいいのに」と
息子が尋ねると、「今でも充分目立ってるから」と
いつも白装束です。
 



この竹の籠にお団子の箱とお茶を入れて
手動ロープウエーで運びます
摩擦熱で手がやけどしそうになります。

戻ってくる籠の中にお客さんからのメッセージが入っていることがあります。
今回は「○○小学校修学旅行 おいしいおだんおごありがとう!」
と書いてある紙が入っていて、「この地域は震災ですごい被害だったんだ。よく来たなあ」とおじさんは涙ぐんでいらっしゃいました。

籠がつなぐコミュニケーション、すごいです。


渓谷の向こう側まで1分くらいで
到着です



今や世界中からの観光客が訪れるので
歓迎の旗もどんどん増えてしまったそうです。
議員さんたちも挨拶しに来るそうです。

 私と息子は毎年のように東北を訪ねるのですが、息子が小学生の頃から大ファンの場所が岩手県一関市の厳美渓にあります。テレビの旅行番組でもよく紹介されているので、ご存じの方も多いと思います。

 店主の千葉さんはユーモアたっぷりのエンターテイナーで、今や世界中からファンが訪れるそうです。息子がワイヤーを引っ張るのをお手伝いする時は、大小二つの星条旗を掲げ、アメリカ国歌を大音量でスピーカーで流してくださいました。いきなり渓谷中に他国の国歌が響き渡り、他の観光客は、訳が分からず、唖然としていました。

 息子が心配して「おじさん、いきなりすぎて、みんな固まってます。」とコメントすると、「平気平気、ここはインターナショナルだから。ハハハ~」と笑い飛ばしてしまいました。

紙コップに入ったお茶が籠に揺られて対岸に着くまでにこぼれないのが不思議です。

 
ごま、あんこ、みたらしの3本セットでお茶がついて1箱400円です。

おじさんは息子に、「今度来るときは、彼女を連れてこいよ!」と励ましてくださいました。息子は、「はい、そうします。」と約束してしまいました。お団子好きなガールフレンドができるでしょうか?

 

2013年6月8日

望み


 今回東北の被災地を訪ね、震災から2年たった現在でも深い傷跡を残している現状を見て呆然としてしまいました。

 私たちはサンディエゴの日系コミュニティーで、色々な形で震災のサポート、現地で支援活動をしている人たちからの生の声、被災地の子供たちの招へいなどを通してアップデイトの情報を伝えていただいていると思っていましたが、まだまだ実情を理解してはいなかったことに気付きました。

 東北の人たちの明るさ、謙虚で前向きな姿には心を打たれました。「感謝の気持ちを忘れないこと、他人のことを思いやる心、希望を失わないスピリット」日本人ってすごい民族なのだと思いました。

 私は子どもの頃に広島に引っ越してきてからずっと被曝者の方々の経験談を聞いて育ってきました。みなさんが共通して伝えこられたことは、「人間は強いので、どんなことがあっても必ず困難を跳ね返し、よりよい世界を築く力がある。」ということです。

 広島も、原爆で一面焼け野原になり数十年は草木も生えないと言われていましたが、戦後みんなの頑張りで復興し、緑にあふれた美しい都市に発展してきました。

 
東北もきっと復興してくれると信じています。

サンディエゴの私たちも引き続きサポートを続けて、つながっていたいと思います。



私の好きな聖書の言葉です。

 木には望みがある。
 たとい切られてもまた芽を出し、
 その若枝は絶えることがない。
 たといその根が地の中に老い、
 その幹が土の中に枯れても、
 なお水の潤いにあえば芽を吹き、
 若木のように枝を出す。



 


 


 

2013年6月5日

女川



ボランティアの活動拠点
復興ラジオ局もあります



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やはり建設分野の求人が目立ちます




横転したビルディング




近くで見るとこんな感じ


高台にある女川病院にも
ここまで水が押し寄せてきたそうです。


女川にも原子力発電所がありますが、津波の被害を受けなかったので、今回は水の被害だけですみました。

それでも、20メートル以上の津波が引き起こした被害は甚大で、2年以上たったいまでも、ひっくり返ったままの建物など、傷跡はいたるところにみられます。

大規模な復興作業が現在も続けられていますが、いったいもとに戻るには、どれだけの費用、時間がかかるのだろうと、気が遠くなってしまいそうです。

ここは、美しい入り江、良質な海産物の産地としても有名なので、早く住民の方々の普段の生活が戻ってくればいいなあと願うばかりです。

2013年6月4日

石巻

津波に襲われた上、流れ着いた車のガソリンが引火して
燃えてしまった小学校


小学校前の慰霊碑
お花とお菓子が絶えることがありません。


現在解体中の石巻市立病院


1階部分に水が入り、ガタガタになり使えなくなった家


素敵な新築の家がこのように放置されたままになっている
新興住宅地
ここには他にも同じような家が100軒以上あります。

石巻の水産加工工場やパルプ工場は早い時期に操業が開始されたそうですが、住宅地はまだまだ再建のめどが立たないそうです。

生き残った人たちは仮設住宅に移りましたが、生活力のある人、サポートしてくれる家族、知り合いがいて移住できる人たちは次々に新しい生活をスタートさせることができましたが、まだ仮設住宅に住む方々も大勢いらっしゃいます。

家、家族、仕事、友達を失い、なおかつ、「もう2年以上たったんだから、いつまでもメソメソせずに、気合を入れて頑張れ!」とみたいなことを言われても困ると被災した方のお一人はつぶやいています。



2013年6月2日

9メートルの津波が来たというのに、新たに3メートルの堤防を築く

ここは震災前は古くからの住宅街でした
画像が曲がってってごめんなさい。



震災直後




今は瓦礫が撤去され、以前あった住宅のコンクリートの基礎以外
何も残っていません。
この街の再建の目処は立っていないそうです。



この集落には、9メートルの津波が襲ってきたので、数百名の方がお亡くなりになったり、行方不明になったそうです。

たとえ屋根に上っていたとしても、助からなかったそうです。

国は、早速3メートルの堤防を作ったそうですが、それを見た住民の方々が「9メートルの津波が実際に来たし、今後最悪12メートル級のものも予想されているというのに、いくらなんでも酷いのではないか。」と反対されたので、現在は6メートルの堤防を建設中なのだそうです。

どこもかしこも壊滅状態なので、予算に限りがあるのはわかりますが、そんなものを作って何の意味があるのかわかりません。







2013年6月1日

復興

日本三景松島



昨日から東北に来ています。

被災地への慰霊の旅をしています。

一瞬にして集落全体が流されてしまった跡地、石巻の水産加工工場の復興ぶり、女川のボランティアセンターで精力的に活動されるみなさんの様子、仮説住宅の様子などをうかがいました。

今は道路はすっかり整備されていますが、そのほかのものは、爪あとがいたるところで見られます。 国、地方自治体、住民の方々、もボランティアの人たちが一生懸命元の生活に戻そうと力を尽くしておられますが、被害があまりにもひどく、完全に復興するまでにはどれだけの年月がかかるのだろうとため息が出てきます。

これから、少しずつ被災地の画像をレポートしていきたいと思います。