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2012年3月12日

震災から1年



震災から1年がたちました。


ここサンディエゴでも色々な追悼行事が行われました。まだまだ復興には多くの課題が残されており、私たちも継続してサポートをしていきたいという決意を新たにしました。


広島で育った私は、焼け野原から見事に復興することができた人間のパワーを間近に見てきたので、希望を持っています。


日本は必ず立ち直ることができると信じています。



2012年3月4日

ありがとう!!

明日への希望
By Yori

もうすぐ、東日本大震災から1年がたとうとしています。

想像をはるかに超える悲惨なできごとで、今もなお多くの人が苦しんでいらっしゃいます。

これからも、私たちは忘れないで、被災地のみなさんのためにサポートを続けていきたいと思います。

そして、世界中の人たちが私たちの母国日本のために尽くしてくださったことを覚えていたいと思います。

いつか、私たちが恩返しできる日がきますように!!

http://www.youtube.com/watch_popup?v=SS-sWdAQsYg&vq=medium

2012年3月2日

震災支援チャリティーバザーのお知らせ


サンディエゴ女子会の方からチャリティーバザーのご案内をいただきました。




「★第2回目!HELP FOR JAPAN チャリティーイベント★」
〜〜東北津波地震から1年!!〜〜
私達”サンディエゴ女子会”は、再びチャリティーイベントを開催致します。

あの、大地震から1年!私達”サンディエゴ女子会”もこの3月で1年目を迎えようとしております。

この一年、私達も”被災地支援”として、4月の大チャリティーイベントを皮切りに、被災地の子供達への文房具用品、ガレージセール、
寒い冬に備えての”毛布収集”など、させていただきました。

今回は、一年目!と言う事で、多数の方々にご協力とお気持ちを分けて頂たいと思っております。

それに伴いまして、たいへん恐縮ですが、このチャリティーイベントの
”ご協賛且つ、スポンサー”をしていただける方々がいらっしゃいましたら、是非お願いしたいと思っております。

どなたか、この「★第2回HELP for JAPANチャリティーイベント★」の
縁の下の力持ちとなってくださる方がいらっしゃいましたら、是非私どもへ、ご一報よろしくお願いいたします




私たちぽーと会でも復興への願いを込めて、Yoriさんの桜をモチーフにカードを製作して、販売させていただきます。


 

2012年2月26日

私たち日本人が世界の人ともっと親しくなるために!




1935年にバンクーバーで生まれたジョイ・コガワ氏は日系カナダ人の詩人であり、作家でもあります。彼女の著作「おばさん」はもっとも有名な作品です。最近の作品には子供­¬-向けの「ナオミの木」があり、「長崎への道」は只今執筆中です。彼女の優れた作品に対してカナダ勲章とブリティッシュ・コロンビア勲章を受けており、7つの名誉-学­位-や多くの賞の受賞者です。2010年には日本とカナダ間の歴史の理解と保存に貢献したとして日本政府から旭日章を叙勲されました。
ジョイ・コガワ氏の紹介








私自身も、世界の人たちとつながっていくためには、まず正しい歴史の認識が必要だとつくづく感じています。

日本の行った間違いを認めず、被害者に対して一方的に「忘れろ」「思い違いだろう」というのでは、いつまでたっても、友情は築けません。










    2012年2月15日

    サンディエゴから日本へ直行便就航




    今日発表になったニュースです。

    12月からサンディエゴから成田まで日本航空の直行便が週4便でることになったそうです。来年の3月からは毎日運行になるそうです。

    サンディエゴ発正午、成田着 午後4時55分
    成田発 午後5時半 サンディエゴ着 午前10時半

    サンディエゴ空港は街中にあり、滑走路の拡張工事ができないので、まさか日本への直行便がでるなど、ゆめゆめ考えたことがありませんでした。ところが最新鋭のボーイングドリームライナーを使うことで、少ない燃料で日本まで到達できるようになりました。

    これまでは、サンディエゴ発ロンドン行きの飛行機は、滑走路が短すぎて燃料を満タンにしては飛び立てなかったので、サンディエゴでは少しだけ燃料を入れてフェニックスまでとりあえず飛んで、燃料を入れなおして、再度ロンドンまで飛んでいました。ロンドン、ヒースローの滑走路は問題ないので、帰りはロンドン~サンディエゴはノンストップです。(知ったかぶり暴走中!)

    日本の企業が開発に深く関わったと言われるドリームライナー就航の時、色々記事を読みましたが、具体的に私たちの生活にどう関係してくるのか理解できませんでしたが、今日の記事でようやく恩恵の形が見えてきました。

    ドリームライナーさんありがとう!!!!


    P.S. 日本航空のホームページにも記事が載っていました。

    JALは、2012年12月より成田―サンディエゴ線、2013年3月より成田―ヘルシンキ線を787-8機材で開設します。

    ◆ 成田-サンディエゴ線 (機材:787-8)

    サンディエゴは、ロサンゼルスより南へ約200kmカリフォルニア州最南の海岸沿いに位置し、人口は全米で第8位(約138万人)、カリフォルニア州でもロサンゼルスに次ぐ第2位の都市です。年間を通じて温暖で雨が少なく湿度の低い快適な気候は、全米の中でも唯一、パーフェクトな街とも言われています。

    サンディエゴを含めた周辺地域では、情報通信・バイオ・製薬・医療機器関連等、多種多様な産業が盛んで、各種研究・教育機関も展開しています。また、近接のメキシコ国境近くのティファナには、日本企業を含む生産工場も点在しています。

    日本・アジアからの直行便未就航地点であり、サンディエゴ周辺地域を往来されるお客様にとって、ロサンゼルスまたは米国内他空港での乗り継ぎと比較し、よりスムーズな旅の提供が可能となります。

    成田-サンディエゴ線は、アメリカン航空との共同事業の路線であり、アメリカン航空とのコードシェアも予定しています。また、同じワンワールド・アライアンスのパートナーであるブリティッシュ・エアウェイズもロンドン-サンディエゴ線を運航しています。ワンワールド・アライアンスのパートナーによる太平洋線/大西洋線の運航・サービスを提供することにより、サンディエゴ地域におけるお客さまの利便性を高めてまいります。



    ◆ 便名・ダイヤ

    便名
    区間
    スケジュール()
    (現地時間)
    運航日
    機材
    JAL066
    成田→ サンディエゴ
    1730 - 1030
    201212月より週間4便運航(月・火・木・土)
    20133月より毎日運航
    787-8
    JAL065
    サンディエゴ→ 成田
    1200 - 1655(+1)

    *具体的な運航開始日、予約開始日、アメリカン航空とのコードシェアについては別途ご案内します。

    2012年2月1日

    日本財団 Gakuvo による高校生を対象にした被災地援助プログラム

    被災地では現在、雪と寒さと闘っています。

    これまでも、何度かブログに書かせていただきましたが、私たちぽーと会では、清泉先生の「東日本大震災医療ボランティア報告会」「大学進学体験談」の参加費、12月の「大学進学セミナー」でのフードバザー、Yoriさんのカード販売を通じて、日本財団Gakuvoさんへ寄付金を集めてきました。

    特にフードバザーでは、子供たちが中心になっておいしいお菓子を作ってもらい、大盛況となりました。

    日本財団の担当の方からメールを頂きました。月末、高校生を対象にしたプログラムを開催されるようです。20名限定なので、2月の下旬に高校生のお子さんを連れて帰国の予定があり、ボランティア希望の方があれば、ぜひGakuvoさんに連絡してみてください。

    東京から出発なので、親が東北まで送迎しなくていいのも、海外居住者にとってはありがたいです。

    まずは報告会やセミナーなどイベントのご成功、誠におめでとうございます。
    そして、本来ならば私どもがお礼を申し上げる立場にもかかわらず、たくさんの感謝のお言葉を頂き、本当にありがとうございます。

    海の向こうのアメリカの地で、ぽーと会の皆様、清泉様、Yori様はじめ本当に多くの方々が被災地ために活動をして下さっていること、これは被災者の方にとって大きな励ましになり、復興の原動力となると確信しています。私どもは学生のボランティア活動を通じて、皆様の思いを必ず被災地にお届けいたします。引き続き、学生たちの活動をご覧いただければ幸いです。

     
    ご案内になりますが、2/24~28の日程でGakuvo派遣日程がございまして、その中で高校生の枠を20名程度になりますが準備しております。日本にご帰国のご予定があればご参加できますので、ご案内申し上げます。

    なお、普段は大学生のみのGakuvoに高校生を派遣させて頂くのは、当財団の震災支援とは別のプロジェクトで、中学生・高校生を対象とした「Non Profit」「社会貢献」をテーマとした出張授業を行っているからです。
    これは、民間企業や行政以外にも社会を担っている重要なセクターがあり、社会を勉強する意味でも自分自身のキャリアとして考える意味でも、中学生・高校生の時代から浸透させることが必要だという意識から、3年前に当財団内にプロジェクトチームが立ち上がったものです。
    (プロジェクト名はSocial Action Program、HPは3月末頃完成予定です。)

    長文になってしまい失礼いたしました。
    2012年度もGakuvoは継続して活動して参りますので、ぜひこれからも応援頂ければ幸いです。
    引き続きよろしくお願い申し上げます。


    http://blog.canpan.info/gakuvo/
    ぽーと会でも
    セミナーの収益、フードバザー、カードの販売を通じて
    Gakuvoさんにささやかながら協力させていただいております。
    Yoriさんのカードと子供たちが作ってくれたお菓子
    「○○ちゃんのナントカ」っていう補習校での超人気アイテムも
    出品されています。
    値札も子供たちの手作りです。
    これは、料理の苦手な私が作ったサンドイッチ。
    1個2ドルです。
    買ってくださった方、ありがとうございます!

    2012年1月27日

    歴史と向き合う勇気を (朝日新聞 私の視点 1月26日の記事より)





    去年8月の平和セミナーの講師のテニー博士をご紹介くださった「捕虜ー日米の対話代表」の徳留絹枝さんが朝日新聞に寄稿されています。


    「過去を水に流す」ことができるのは、被害者がきちんと加害者から謝罪を受けた時のみであることを私たち日本人は知らなければならないと思いました。

    English translation
    Asahi Shimbun , Jan. 26. 2012
    My View Point
    Courage to Face the History: Apology for former POWs
    Kinue Tokudome
    Journalist
    Executive Director,
    Website: US-Japan Dialogue on POWs
    “Please tell us how our wartime colleagues treated you. We want to learn, too.” For the two former American POWs who visited Japan Metals & Chemicals Co. (JMC)’s Takaoka Works (Toyama prefecture) last October, Director Takashi Toriyama’s words sounded as if they were wiping away their pain that they had not been able to forget for 66 years.
    Mr. Harold Bergbower (91) and Mr. James Collier (88) were among the seven former American POWs invited to Japan by the Foreign Ministry. It was during the Pacific War in September of 1944, that the two men first set foot on Takaoka. One hundred and fifty American POWs were brought here from the Philippines to become forced laborers for JMC’s predecessor company, Hokkai Denka Kogyo.
    Already weakened POWs were forced to perform dangerous work near open furnaces. Food and medicine were not adequate and thirteen POWs died by the end of the war.
    I accompanied the two former POWs who traveled a long distance to visit Takaoka. Mr. Toriyama welcomed them and started the conversation by saying, “My late father was also a Siberian internee and I felt as if you were my own father when I received the request on your visit from the Foreign Ministry.”
    Ms. Debra Bergbower-Grunwald, the daughter of Mr. Bergbower, described what followed this initial exchange at a press conference in Tokyo a few days later.
    I saw friendship that happened between generations, between the generation from the Japan Metals Company and these two former POWs, sitting down at a small table, drawing a diagram, and discussing what the camp history was in 1944. And those men laughing and talking and communicating. That was where the friendship was. And that peace of mind helped and is helping my father at the age of 91. I want to thank the Japanese government for helping my father with this.
    During WWII, nearly 36,000 Allied POWs were held at approximately 130 POW camps throughout Japan and forced to work for more than 60 Japanese companies. About 10% of them died in Japan. However, companies like Japan Metals & Chemicals, which are willing to welcome former POWs, are the exception. Most companies that enslaved POWs have not even acknowledged their use of POWs as forced laborers.
    A resolution has been introduced in US Congress requesting that the Government of Japan respect the wishes and sensibilities of the United States former prisoners of war by encouraging those Japanese companies to do the right thing.
    President of POWs' Descendants Group also submitted a written testimony for the hearing on California High Speed Rail held last month by the House of Representatives, asking those Japanese companies that are planning to bid for the project to respect their father’s dignity by acknowledging the history of POW forced labor and apologizing for it.
    Former American POWs are not asking for compensation. The only thing they wish is to restore their dignity while they are alive and to have their history remembered by future generations. I hope that those Japanese companies that enslaved them will have the courage to face the history. There is not much time left.



    2012年1月22日

    Gakuvoをご存知ですか? (産経新聞1月16日の記事より)



    明日のぽーと会では、清泉貴志先生から「お父様から見たアメリカの大学受験」の体験談を伺います。

    去年11月には、清泉先生から「東日本大震災医療ボランティア報告会」で現地の様子を伺いました。

    その時に、アメリカに住む子供たちも被災地でボランティアができないものかという質問があり、先生が、問い合わせをしてくださり、日本財団Gakuvo(学生ボランティアセンター)さんを紹介してくださいました。

    Gakuvoでは、これまで、岩手、宮城、福島の3県に全国約200の大学、のべ4000人を超える学生を派遣されています。現在も新規派遣の参加者を募集中だそうです。活動内容によっては、高校生の参加も可能だそうです。

    ぽーと会でも、フードバザー、Yoriさんのカードの売り上げで募金を重ねてきました。明日のセミナーの参加費と合わせ、Gakuvoさんにお送りする予定です。

    夏休みに、子供を参加させたいというお問い合わせも何件かいただいております。アメリカに育つ子供たちも、祖国日本のために何ができるだろうかと、いつも考えています。スケジュールが合えばうちの子供も行きたいと申しております。

    2012年1月12日

    なぜ甘い豆が嫌いになったのか?

    懐かしい給食
    先割れスプーン、テトラパックの牛乳、やよいのプリン
    魚肉ソーセージ、くじら肉のから揚げ、ソフト麺ミートソースかけ
    チーズかまぼこ、昭和グルメのオンパレードです



    昨日、ブランチの写真をブログに貼り付けていて、「どうして、好き嫌いのないはずの私が、この甘いプレートが嫌いだったか?」考えていました。


    それで、思い当たったのが、給食でした。私は昔から食べるのが大好きだった上、実家のある給食センターは手間隙かけて作ってくれていたので、とてもおいしかったです。


    ところが、数ヶ月に一度、どうしても食べられない献立が出て、とても苦しかったです。とにかく取り合わせが悪すぎるのです。

    メニューは


    ○ 白玉入りぜんざい(主菜)

    ○ コッペパンとマーガリン (炭水化物、エネルギー)

    ○ テトラパック入り牛乳 (たんぱく質)

    ○ ひじきの煮物(副菜)


    当時は、三角食べ(少しずつ満遍なく食べ進む)の指導も行われていたので、ぜんざいを食べた後、マーガリンのついたパンを食べ、牛乳を飲むというトライアングルが気持ち悪くて仕方ありませんでした。

    担任の先生にとっても給食指導はクラス運営の重要な要素であったらしく、各クラスで残飯を出さないよう、食べきれない生徒は、昼休憩もクラスに残って食べなければなりませんでした。さらに、給食がきちんと食べられない班は、全員で責任を取らされるという、戦争中の隣組のようなシステムまでありました。

    もちろん、アメリカの学校のカフェテリアで、子供たちが残飯を使い捨て容器と一緒とドンと大きなゴミ箱に捨てるのも見ていて辛いことがあります。「お百姓さんが一生懸命つくってくれたのに、感謝の気持ちがない。食べ物を粗末にすると罰があたる。」とついつい心配してしまうのです。

    でも、日本の学校の給食指導を今振り返ってみると、なにもそこまでやらなくてもよかったのではと思います。

    給食指導のお陰で私は甘い豆、甘いおかずが食べられなくなったではありませんか!!