2012年8月31日

最後のオープンハウス

サンディエゴも
朝晩はようやく涼しくなりました

息子は12年生なので、私にとっては、今年が最後の「父兄によるクラス訪問」が昨日ありました。

午後6時半から30分間、講堂で校長先生から係りの先生の紹介、伝達事項、一年間の方針などのアナウンスがありました。

そのあと、7時から各クラスを回ります。1科目10分間のクラス訪問、5分の移動時間、8コマあるので、2時間かかります。

各教科の先生に伺いたいことがあると、(あるいは子供が問題を起こすと)、そのつど放課後にアポイントメントを取って先生に会うことができますが、他の親御さんに会うのは、こういう機会を逃すと、なかなかありません。ですから、私は毎年このオープンハウスを楽しみにしています。

又、クラスルームの飾りつけを先生方が心を込めてされているので、それを見るのも楽しみです。

たとえば、AP Englishのクラスの中は、中世のお城のようでした。騎士が使う刀や鎧までディスプレイしてありました。

自己紹介、1年間の学習の目標、使用するテキスト、採点システム、大きなプロジェクトの説明、質問が今後あったらどのようにコンタクトしたらいいか、などを8分で手短に話し、残りの2分で質問を受けるという早足プログラムです。

息子の学校は丘に建てられており、クラスが山の頂上(アッパーキャンパス)と麓(ロワーキャンパス)にそれぞれあります。生徒は学校にいながらにして足腰が達者になれるという何ともありがたい発想なのですが、親は心臓破りの坂を5分で駆け抜けなければならないので、かえって足腰を痛めてしまいます。

お父さんがアッパーキャンパス担当、お母さんがロワーキャンパス担当と手分けするご夫婦、主要科目だけ、あるいはクラスの人数が少なく、欠席したら目立つ科目のみ出席と、工夫する親御さんもいました。

私は、とりあえず「全出席」を目標としているので、混雑を避けるため、質問タイムの前に退室し、もう次の教室に移動し始めなければなりませんでした。

生徒会の役員とチアリーダーたちが、ところどころに待機して、冷たいお水やおやつを配ってくれて、道案内もしてくれました。

先生方や息子の友達の親御さんにお会いできて、とても楽しかったけれど、なんだかヘトヘトになって帰宅しました。






2012年8月30日

ありがた~いサービス

キャンパスツアーに参加すると
素敵な寮を見せてくれるけれど、

実際には
新入生にこんなにきれいで新しいドームは
めったにくれないらしい。



これは、まあまあのレベル?



ホテルのようなカードキー方式



昔ながらの鍵方式


先週から、ぼちぼち大学に新入生としてお子さんを送られたお母さんが帰ってこられたので、根掘り葉掘り、様子を教えていただいています。

寮に荷物を持ち込むのに、大都会にある大学ではタクシーを使って大荷物を搬送した、娘さんと2人で、レンタカーを使って買い物、搬入を頑張ったなど、色々な苦労話を聞きました。

最低限で生活をスタートさせるにしても、結構な量の必需品があるようです。

息子さんが現在リベラルアーツカレッジ(漢字では文理学院って表現するんだそうです)の舎監をされているcalperchさんのブログでは、受け入れ側の目からのキャンパスライフが書かれていて、とても興味があります。

息子さんの大学では、ボランティア60名が待機して、部屋の鍵をピックアップし、荷物を運び、チェックインの手続きを手伝ってくれるという、涙が出そうなありがたいサービスをしてくれているそうです。

おもしろいなあと思ったのは、アスリートとして他の新入生より一足早く入寮したお友だちのお子さんが、彼自身も新入生なのにもかかわらず、早速おそろいのTシャツを着せられ、ボランティアに駆り立されたと聞いたばかりだったので、もしかして、calperchさんの息子さんと同じ大学だったのかなあと、思わずにやりとしてしまいました。

それとも、このような至れりつくせりのサービスは、結構どこの大学でもオファーされているのでしょうか?

息子はガジェット系がやたらと多いので、「寮に電源がどれだけあるか」を今から気にしています。アプリケーションエッセイすら書いていないのに、心配するポイントがずれすぎです。

2012年8月29日

ありがとう、ロザナさん!

オーストラリアに住む親友、ロザナさんは
息子のために、毎年羊の皮のブーツを送ってくれていました。
左は、最後のプレゼントとなってしまった最新バージョン
右は、息子が小さかった頃のもの



オーストラリアから訃報が届きました。

親友のロザナさんが2年間の癌との闘いの末、亡くなりました。彼女は、日本の大学に留学経験があり、オーストラリアでもずっと日系企業に勤めていたので、流暢な日本語でいつも電話をかけてくれていました。明るく大きな声で、「元気にしてる? 息子さんは、大きくなったでしょ。日本のご両親は大丈夫?」と私の家族を気にかけてくれていました。

2年前に、すでに進行してしまった癌が見つかってからは、色々な療法を試してみましたが、全く効果がみられず、1年前から、「残りの日々を夫と快適に過ごせる」方針に転換しました。

海外に住むご家族も、時間を見つけては彼女を見舞って楽しい時を過ごし、画像を送ってくれていました。彼女はとても平安で、幸せそうでした。私も、息子の受験が終わったら、早くオーストラリアまでお見舞いに行きたいと願っていました。

7月に私が日本に行く直前に電話したのが、最後の会話となってしまいました。

「日本の夏は暑いから、体に気をつけてね。ご両親にもどうぞよろしく!私は、私はもう長くは生きられないと思う。苦しみが増してきたから、一日も早く天国に行きたいの。早くお迎えが来てくださるよう、祈っててね。今まで色々ありがとう!!」とメッセージをくれました。私は、「日本から又電話するね。天国で又会えるのを楽しみにしてます。長い間、良い友達でいてくれて、本当にありがとう!I love you so much.」と言って電話を切りました。

日本から電話をかけましたが、もう通じなくなってしまいました。

数週間前から、ご主人のクリスさんから時々メールが届くようになり、ロザナさんがホスピスに入院して、最後の時を迎える様子を教えてもらいました。

数日前は、「全ての機能が低下し、意識もなくなった。」と聞いていたので、「もう充分彼女は闘ったので、早く楽にしてあげてください。」と祈るようになりました。

昨日、クリスさんから、「天国に旅立った」と聞いて、安堵するとともに、寂しく、悲しく、心にポッカリ穴があいてしまったようです。

「癌は、患者自身と周囲の人たちに心の準備をさせてくれるから、ある意味とてもよい病気だ」と聞いたことがありますが、覚悟がどんなにできていたとしても、悲しいことには変わりありません。

今まで、友だちでいてくれて、本当にありがとう! ロザナさん!



2012年8月27日

旅立ちの時 (3)



見た目は涼しそうだけど、
実際はまだまだ暑いそうです。

お子さんを最近大学に送られたお母さんから色々なアドバイスをいただきます。

心に残った言葉の一つに、「親はあくまで、子供を信じて、そっと後ろから見守るだけ。」があります。

このご家庭のお子さんは、努力家で本当に頑張ってこられました。そして、ご両親をはじめ強力なサポーターたちにも助けられ、多くの大学から合格通知をもらうことができました。

しかし、その素晴らしい合格通知の中から一校だけ選ぶのが、大変だったそうです。実際に大学を訪問し、授業に出席し、教授とも話し、在校生とも交流し、寮にも泊めてもらい、「大好きになった大学」が数校残りました。

家族で、スプレッドシートを作成し、卒業後のファイナンスのシュミレーション(返済額)を比較したり、それぞれの大学の短所、長所を全ての面から検討したそうです。

締切日ぎりぎりまで、悩みに悩み、一校を選びましたが、断腸の思いだったと思います。贅沢な悩みと言えばそうなのですが、大学側からも大切な学生として、ケアーを数ヶ月受けてきて、お互い信頼関係も出来上がって、それをお断りするのは、辛いですね。

お母さんは、悩み苦しむお子さんをただ見守るだけしかできなかったそうです。「だって、子ども自身の人生でしょ。私の考えを加えたくないの。子供自身が納得して選んで欲しい。」とこの辛いプロセスの時おっしゃっていました。

私なら、「こっちの方が最終的に安いよ。」などと、ついつい口走ってしまいそうです。

このご家族にとって、道しるべのひとつとなったアドバイスは、数ヶ月前のUCSDの学生さんとの交流会に参加された方の言葉だったそうです。

「結局ベストな大学などありません。どんなに良い大学だと思って入学しても、気に入らないところは出てくるでしょう。自分でその大学を自分にとってベストな大学にしていくんです。」

経験者の話は、いつもパワーが違うと、感心してしまいます。




2012年8月24日

旅立ちの時 (2)



初秋
日本の兄から送ってもらいました。
島はそろそろ秋を迎えます。




 
 


このところ、新入大学生を見送って戻られたというお母さんとお話をさせていただく機会が多いです。

お母さんだけ今回の入寮につきあい、来月の家族訪問にはお父さんが行かれるご家庭、引越しにご両親が付き添われたご家庭、家族全員(5人)が飛行機に乗って見送りに行かれたご家庭、お子さんが一人で旅立たれた(かっこいいなあ)ご家庭、本当に様々です。

「子供の前では泣かないように頑張ったけど、ドアを閉めたら涙が止まらなくなった。」「夫が隠れて泣いている。」「家が急に広く感じる。」などというご両親の反応はなんとなく想像できます。

面白いと思ったのは、「いつも兄弟げんかばかりしていたのに、寮で別れる時には派手に抱き合って泣いていた。そんなに仲良くしたいんだったら、同じ家に住んでいた10数年の間にやってほしかった。」というコメントでした。

「私が行くと泣くので来ないでくれと子供から頼まれた。代わりに夫が行ってくれたけど、こまごました準備に困っていた。やはり私が行けばよかった。」というお母さんもいました。

近くの大学に進学されたお子さんは気軽に帰省できますが、遠くに行かれた場合は、今度会えるのは、クリスマス休暇でしょうか?

「早速、今日最初の慰問箱を送ってきたよ。今回はお茶漬けの素と日本のお菓子!」なんていう友達の話を聞いているだけで、せつなくなってきます。

大学によっては、クレジットカードの番号を教えると、子供宛に自動的に送ってくれるサービスがあるそうです。何を入れてくれるのでしょうか?アメリカだから、チョコレートチップクッキーかな?



2012年8月23日

旅立ちの時 (1)



数日前の、「大学進学セミナー」で、お子さんの大学入学にお母さんが付き添って行かれたので、お父さんが一人で出席されていた方がいらっしゃいました。

「ご入学おめでとうございます。でも、ちょっと寂しくなりましたね。」と声をかけると、「いや~~~!湿っぽくしないようにと、言われてるんですから!!」と目一杯明るく声を張り上げていらっしゃいました。(気丈に振舞うレベル?)

来年は、我が家でも、明るく声を張り上げることになるのでしょうか?

今年お子さんを送られお友だちに、様子をあとで伺ってみようと思います。涙にくれていらっしゃらないことを、祈るばかりです。

みなさんが、子供さんの旅立ちをどうやって乗り切っていらっしゃるのか、今のうちから、教えてもらって備えようと思います。

広いアメリカ大陸で離れ離れになるだけではなく、太平洋を跨ぐケースも多いので、帰省費用もかさむでしょうね。

息子の受験する大学の絞込みをする際に、ついつい夫が働く業種の会社がその州にないかどうかついでに調べてしまい、「子供の大学に合わせて親が転職はないなあ。」とつぶやいています。



2012年8月21日

補習校の大学進学セミナー 

遠くから見ると


近くから見るとこんな感じ



数日前に、補習校で「大学進学セミナー」が行われました。

午前中は、原田先生による「バイリンガル、バイカルチャーであることを子供の将来にどう生かしていくか?」「子供の学力が伸びないことへの不安にどう対処するか。」という講演がありました。

午後は、元ファイナンシャルオフィサーをされていた方と原田先生の対談でした。ぽーと会でもゲストスピーカーとしてお話していただいたことがあるのですが、今回はコラボということで、スピード感あふれる、情報量豊富なお二人の素晴らしさが満載の2時間でした。

夕方は、中学生、高校生を対象にしたプログラムでした。舞台芸術を専攻する今度大学4年生になる学生さんをゲストに、原田先生が「大学の学びの様子」「高校時代の準備」「専攻を絞り込んだ過程」などの質問を投げかけてくださいました。

あっという間の1日でした。

2012年8月17日

息子の幼馴染み(2)


Jくんをお世話してくださった
 Nさんのお宅のお庭



もう一人は、高校3年生の女の子でAちゃんといいます。Aちゃんのお母さんと私は高校時代からの親友で、私たちが帰国する時にはいつも会い、彼女たちがアメリカの私の家に滞在していたこともあります。

Aちゃんのお母さんがシングルマザーとしてフルタイムで働くようになったので、夏に私たちが日本にいる時には、Aちゃんは私の実家に泊まることも多く、息子とは兄弟のように育ってきました。

Aちゃんは姪っ子のように可愛いだけでなく、私にとってのよきアドバイザーでもあります。ぽーと会を始めたのも、彼女とのやり取りの中で思いつきました。

Aちゃんのお母さんは、高校時代大変優秀で、理数系も良くでき、希望すればどの大学にでも入学できるほどでした。本人は、解剖が怖いので、薬学部に進学したいと希望していました。しかし、親御さんが、「なにも女の子がそこまで勉強しなくても、そのまま同じ大学に上がり、お嬢さんとしてお嫁に行けばよい。」と許してくれませんでした。

結局、お嬢さん大学を卒業後、大企業の事務職として就職し、結婚し、ご主人の転勤で、彼女も仕事を辞め、出産、離婚後、苦労を重ねています。

親御さんが計画されていた「お嬢さま~裕福な奥様~幸せな結婚生活~潤沢な実家のサポート」全てが崩壊しました。

夫の転勤で一度仕事から離れたら、もう二度と彼女にはフルタイムの仕事の機会はなく、夫はDV、実家は破産、離婚、元夫の独立、事業の失敗、元夫の死、と不運が重なりました。

Aちゃんのお母さんとは、よく話すのですが、もし彼女がただのOLではなく、専門職についていたら、(彼女の場合薬剤師)転居しても次の仕事が見つけやすく、金銭面での軋轢による夫との争いも少なかっただろうということです。

もし、自分に収入があれば、長年に渡る酷いDVに耐える必要もなかったし、離婚後もここまで経済的に追い詰められることもなかったでしょう。

親御さんが描いた「お嬢様~奥様幻想」も今となっては根拠のない脆いものでした。

高校の同級生の中でも、Aちゃんのお母さんより成績が悪くても、医学部、歯学部、薬学部、看護学校、工学部、教育学部といった道を選んだ人たちは、結婚、出産、夫の転勤といった人生のターニングポイントをスムーズに通過するケースが多いです。そういう人は、子供の頃から家庭の中で、きちんとキャリア教育がなされ、「一生なんとか食べていける道」を家族で話し合っていました。

「Aにだけは、私のような苦しい人生を送ってほしくない。」というお母さんの無念さ、そしてAちゃんの「毎日を安心して送れるようになりたい。」という悲願ををいつも聞いていたので、Aちゃんが中学の頃から、息子と3人で大学のオープンキャンパスにでかけ、どんな学部があるか、どんな仕事があるかを見学してきました。

Aちゃんが法律に関する仕事は安定している、なかなか面白そうだと考えるようになってからは、「日弁連のキャリアセミナー」「最高裁オープンハウス」などに連れて行き、法律に関する仕事を実際にしている方たちからお話を伺うようにしてきました。大法廷での法服試着、判決読み上げ体験、裁判官の方からの体験談を伺えて、彼女はとても楽しそうでした。

(そうそう、私達は、酒井法子主演の「裁判員制度のプロモーション映画」を見た数少ない日本国民です。最高裁で私たちがこのビデオを見た数日後、彼女は覚せい剤問題で失踪し、このビデオは永久にお蔵入りになってしまいました。けっこう面白い映画だったので、残念です。)

大人がほんのちょっと手助けしてあげるだけで、子供の将来を考える目線が違ってくるということをAちゃんから学びました。

Aちゃんのような日本の若い世代が就職、キャリアパスでこれから苦労するであろうと心配すると同時に、自分の息子のように、アメリカという世界中から優秀な若者が切磋琢磨してキャリアを登りつめていかなければならない国の熾烈さを思い、ぽーと会を立ち上げました。夫がマイノリティーとしてアメリカ企業で、苦労しているのを毎日見ているせいもあるかもしれません。

今高校3年生のAちゃんは、受験勉強を頑張っています。大学進学後の資格取得、就職活動などもこの夏、話し合いました。来年の夏は、ご褒美にアメリカに来てもいいとお母さんから言われているそうです。英語が得意な彼女には将来活躍の場が広がるよう、色々見学をさせてあげたいと、今から楽しみにしています。

私個人ができること、ぽーと会が企画できることは、本当にわずかですが、一人でも多くの若者の道しるべになれたらいいなあと、いつも願っています。世の中の状況が変わっても、若い時期に間違った選択をしたとしても、あとから仕切りなおしをすれば、なんとか一人で最低限食べていけるだけの(できれば、子供も養っていけるような)手職があるように、大人たちがサポートしていけたらと、ささやかな夢を持っています。





2012年8月16日

息子の幼馴染み (1)







息子には、日本の幼馴染みの親友が二人います。

一人目は、17歳なのにもう社会人のIくんです。彼は、小学校の頃、いじめに遭い、不登校になってしまいました。

中学、高校もうまく学校生活になじめず、私たちも心配していました。息子にとっては、かけがえのない親友なので、毎年、日本に居るときにはよく一緒に遊んだり、キャンプに出かけていました。日本社会では、息子も「よそもの」なので、気が合うのです。 親御さんは、息子のことを「外からの風」として喜んでくださっていました。

去年までのIくんは、家の中だけで過ごすことが多かったので、色も白く、華奢な感じでした。ところが、今年会ってみると、見違えるようにたくましく、日焼けをして、精悍な青年に変貌を遂げていました。

今は、彼はバイク屋さんでアルバイトをしています。ようやく好きなことを見つけ、尊敬できる親方に出会い、メカニックの道を進みはじめました。

バイク屋さんの見習いのバイト、大型バイクの免許の練習と1日中忙しいI君は、夜9時過ぎに、油まみれの洋服、真っ黒な爪、腹ペコのお腹で我が家にやって来て、驚くべき食欲で、我が家のお鍋と炊飯器を空にして(私の得意料理はカレーライス)、デザートまで食べて、いっぱいおしゃべりして帰宅します。

バイク屋さんの店長、スタッフ全員が20代、30代と若く、紆余曲折の人生を送ってきたそうです。男社会なので、規律、言葉遣いなども厳しく躾けてもらっています。Iくんの変貌振りに、日本古来の徒弟制度の素晴らしさを間近でみることができました。

自分の居場所を見つけ、頑張れる目標を見つけたIくんに、息子もすっかり感化されていました。来年又会えるのが楽しみです。




2012年8月14日

新学期2日目


息子の学校が始まって、2日がたちました。12年生という高校最後の学年です。

クラスに入れてもらうためのテストや、膨大な宿題の提出も終わり、なんとかスケジュールがおちつきつつあるようです。(冷汗)

あとは、担任の先生に今年1年のカリキュラムの流れを放課後相談に伺ったりといった調整を今週中にやるそうです。

どの先生も予約を取れば、1時間くらい時間をとって、きちんと対応してくださるので、ありがたいです。ただ勉強を教えてくださるだけでなく、人間的にも息子が心から尊敬できる先生方らしく、いつも帰宅してから、「今日は、こんなことを先生から教えてもらった。」と嬉しそうに話しています。

息子は親に対しては批判的で、とても尊敬するには程遠いと思っていますが、他の大人たちが相談に乗り、違った角度でアドバイスしてくださるので心強いです。

もう1年でこの学校から卒業なのかと思うと、親子ともども寂しく、心細く思います。この5月卒業した息子の先輩のお母さんは、学校の先生ですが、ついにこの学校に応募して、父兄から教職員の立場になりました。来年度からは、次男も移す計画だそうです。

お爺さんが勤続40年の先生、息子、娘が全員ここの卒業生、孫がキンダーに入学してきたという筋金入りのファミリー、勤続65年のバンドの顧問は、数十年前は、ここで先生をしていたらしい(大昔すぎて、何の科目を教えていたか知る人がいない)、現在ひ孫の何人かが在学中いう都市伝説並みのおじいさんまで学校に出入りしています。

私にもできそうな仕事はないだろうかと、学校のホームページの「求人欄」のチェックを欠かしません。「どうせ、仕事を探すなら、通勤と通学が一緒にできるように、何年も前からすればよかったのに、どうして親子揃って、計画性がないんだ。」と夫は呆れています。







2012年8月13日

サンディエゴに戻ってきました



猛暑のサンディエゴに帰ってきました。

日本も暑かったけれど、南カリフォルニアも湿気がないだけで負けないほど暑いです。
窓を開けると、熱風が吹き込んできて、まるでオーブンのようです。

土曜日の夜、帰宅して、月曜日から息子の学校が始まりました。5月下旬からの長い夏休みがようやく終わりました。

時差ぼけで4時には目が覚めるので、7時から始まる0時限の授業には余裕で間に合います。ずっと時差ぼけをしていればいいと願っています。

いったん時差ぼけが終わってしまうと、6時起きがとたんに辛くなるのです。特に今年から自分で片道40キロを毎日運転して通学するので、今までのように毎朝親の運転で、爆睡というぜいたくができなくなりました。

自分が運転したくて選んだ道ですから、早朝運転頑張って欲しいです。

私たちが出発した11日は、この夏最高の出国ラッシュで、5万人以上がその日成田から旅立ったそうです。 どおりで、空港内、空港周辺、全てが人だらけでした。

息子が大学に行ってしまうと、私はあまり人が旅行しない時に日本に帰れるようになり、運賃は安い、飛行機はガラガラという贅沢にありつけるのではないかと、今から楽しみです。


2012年8月9日

地上最強のお姉さま方

天ざる



広島城

この夏の日本での最大のイベントは、Jくんのプロジェクトでした。

運の悪いことに、息子と自分の大連旅行とバッティングしてしまい、とんでもないスケジュールになってしまいまいました。

窮地を救ってくださったのが、母のお友達のNさんと、Nさんの親友のOさんでした。このお二人は、私の先輩でもあります。

Nさんは、外国暮らしの親戚が多く、おもてなしのプロです。旧家のお嫁さんとして、2人のお子さんのお母様として、今はお孫さんたちのおばあさまとして、お家を守ってこられました。

数年前から1カ月のうち1週間だけご自宅を開放して、サロンを主宰されています。お料理のメニュー、器、インテリア、全てがNさんの美意識、メッセージ力満載です。口コミで評判が広まり、今は、予約が取りにくくなっています。

60代後半で起業という行動力に私も励まされます。

OさんはNさんと中学校から実に50年以上の親友です。Oさんは、大学卒業後、すぐにご結婚されたご主人のお仕事の都合で、40年以上外国暮らしです。今は一時帰国中です。Jくんと年の変わらないご自身の息子さんを海外で育ててこられたので、親身になってJくんのことを心配してくださいました。

茶道の師範なので、お道具持参で、Jくんにお手前のデモンストレーションがありました。

私が息子を関西空港まで連れて行っている間に、お姉さま方お二人は、平和公園、広島城といった観光コース以外にも、ショッピングの時間も作られました。

Jくんには、洋服を見立て、「あなたをこんなに素晴らしい青年に育ててくださった里親さんにも何かプレゼントをしたいわ。」とデパートに連れて行き、ギフトを選んでくださいました。

ピアノを弾くのが好きなJくんの生みのお母さんにも、彼女が好きな時代の音楽の楽譜のプレゼントがありました。

Jくんが蕎麦打ちの実演が見てみたいことを知り、出雲そばのお店に連れて行って、ざる蕎麦を注文したそうです。ざる蕎麦を食べたことがないJくんは、そばつゆをザ~と上からかけて、全部ざるの下に落ちてしまい、お姉さま方が、自分たちのそばつゆを分けてあげたそうです。

一人で行動するのを嫌がるJくんに頼まれて、炎天下「広島城」の天守閣まで一緒に上ったそうです。(気の毒~)

いつも、Jくんに「何がしたい?」「オプションはこれだけあるわよ。」と声をかけ、時間をかけて、彼の気持ちをほぐそうと、寄り添ってくださいました。

私のしたことは、「無事に目的地に連れて行く。」「時間と場所の確認を関係者の方にお伝えする。」といったプランニングとオペレーションでした。

しかし、お姉さま方は、「まごころをこめた、おもてなし。」でホスピタリティーを極めてくださいました。お客様と過ごす時間を、自分自身も楽しむという歓待の上級者です。

「Jくんとの時間、本当に楽しかったわ~!」と言ってくださり、私までうれしくなります。私や母は、一生懸命すぎて楽しむ余裕がなかったので、お二人のキャパの大きさに、脱帽です。

日本語が理解できないJくんが疎外感を持たないようにと、お二人の間の会話は全て英語で行われたと聞いて、驚きました。

高校時代は、なかなか校風に馴染めず、あまり好きな学校ではなかったのですが、今回先輩方を見て、「実はすごい学校に通っていたんだなあ。」と卒業後30年後に母校を懐かしく思いました。




2012年8月8日

不思議なご縁



息子の歴史キャンプの後半、私と両親(息子の祖父母)も大連に行きました。

見た目は、過保護そのものなのですが、事情があります。(くどくど弁明)

息子が大学訪問をした際に、「歴史キャンプで、中国の大連に行きます。」と息子が話すと、「私の共同研究者で、僕の親友が大連にいるから、ぜひ会ってきなさい。君のスケジュールを教えてください。」と申し出てくださる先生がいらっしゃいました。

キャンプ中は、スケジュールがびっしり詰まっているし、キャンプ終了後、息子だけが大連に残るとしたら、私が行って、待ち合わせ場所に連れて行かなければご迷惑をおかけすると思い、急遽大連行きを決めました。

それを聞いた旅行好きの実家の両親も「それなら我々も」と便乗してきました。(ぞろぞろ)というわけで、息子のピックアップのために爺婆母3名は、キャンプの宿舎に2泊、外国人がよく利用するホテルに3泊、合計5泊、息子はキャンプ5泊、居残り3泊、合計8泊も大連に滞在しました。

アメリカの大学の先生の共同研究者である大連の先生は、日本で学位を取られたお嬢さんと日本で育ったお孫さんを連れてホテルに迎えに来てくださいました。

市内観光、食事に連れて行ってくださり、楽しい一日を過ごさせていただきました。お孫さんと息子は年も近く、中国、アメリカ、日本の学校教育の様子、ポップカルチャー、食べ物など話がつきることはありませんでした。

先生は、中国を代表する学者、教育者であられるのに大変気さくに息子に話しかけたり、ジョークで息子を困らせては大笑いされる、チャーミングなおじいさまでした。自らも大学教授のお嬢さんが、「父は、若い人と話すのが大好きなんですよ。大学でも、いつも冗談ばかり言って、学生さんを困惑させて、人気があるんです。」と笑っていらっしゃいました。

ご馳走をしてくださった上に、色々なお土産、先生の著書の数々を持たせてくださいました。

「私は、君たちのような若い人たちの活躍を楽しみにしていますよ。又大連に来てください。」というメッセージをくださいました。真の教育者とは、この先生のような人格もすぐれ、大きな山のように見上げるような存在でありながら、ユーモアにあふれ、親しみやすい方のことをいうのでしょうか。私もこの先生の授業を受けてみたかったと残念に思いました。

親戚を訪ねたような、不思議な懐かしさをおぼえる1日でした。ご縁って、本当にありがたいなあと、感激してしまいました。


2012年8月7日

日中韓歴史体験キャンプ

旅順
203高地

数日前のブログにも書いたように、息子は大連で開催された「日中韓歴史体験キャンプ」に参加させていただきました。

個人で参加することもできるし、立命館宇治中学校、高等学校のように「グローバルチャレンジプログラム(GCP)」として学校のカリキュラムとしてまとまって参加しているケースもあります。この学校は、数回にわたっての事前学習、プレゼンの準備、出し物の練習など、先生方と生徒さんたちが一体になり企画運営されており、素晴らしかったです。

これだけ手をかけてガイダンスをしてもらえる生徒さんは本当にラッキーだと思いました。生徒さんたちの表情も大変生き生きしています。学ぶ喜び、異文化に触れる刺激、違う国の友達と友情を深めていく手ごたえを全身で表していました。

学校のホームページにも詳しく様子が書かれています。7月25日から30日の間に毎日更新されています。

1日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01217
2日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01218
3日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01220
4日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01221
5日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01222
6日目http://www.ujc.ritsumei.ac.jp/ujc/news/detail.php?eid=01223


息子も、この学校の生徒さんたちのリーダーシップ、違ったバックグラウンドを持つ子供への配慮、情報処理能力、行動力に感動したと言っていました。早速フェイスブックで毎日コンタクトを取っているようです。




2012年8月6日

置かれた場所で咲きなさい - 人はどんな環境でも輝ける (2)







渡辺和子先生の「置かれた場所で咲きなさい」の中で書かれている言葉の抜粋です。

- どうしても咲けない時は、下へ下へと根をのばす。

- つらい日々も、笑える日につながっているのです。

- 人はどんな場所でも幸せを見つけることができる。

- きれいさはお金で買えるが、心の美しさは買えない。

- 不平をいう前に自分から動く。

- 自分の良心の声に耳を傾ける。

- 親の価値観が子どもの価値観を作る。

- 失ったものを嘆いても前には進めない。悩みを抱えている自分も大切に。

- 順風満帆な人生などない。

- 内部に潜む可能性を信じる。

- つらい夜でも朝は必ず来る。


なんだか、宝物のような言葉の数々で、元気が出てきます。


先生、どうかいつまでも、お元気で私たちを勇気付けてください。

2012年8月4日

男子部屋のボキャブラリー



息子は、大連であった「日中韓 中高生 歴史キャンプ」に参加しました。東アジアの青少年が、一緒に歴史を学び、将来自分たちがよりよい関係を築くためにはどうしたらよいかを考えるためのフィールドワーク、レクチャー、討論が6日間あります。

去年は、韓国であり、来年は、京都で開催される予定です。

息子は、今年3回目の参加です。息子と同じ補習校の後輩も参加していて、お互い心強かったと思います。英語の方が得意な子供がさらにもう一人いて、彼は、生まれも育ちもアメリカで、3ヶ月前に日本に引っ越したばかりだそうです。

日本からの参加者の中には、帰国子女の受け入れでも知られる関西の私立学校の生徒たちが学校のカリキュラムとして団体参加するケースもありました。

補習校では、生徒同士ついつい英語で話してしまうことも多いので、今回のキャンプでは、日本の学校の生徒さんとディスカッションをすれば、息子の日本語能力もアップするのではないかと、親は期待しました。(他力本願)

昼間のプログラムは、何とかこなせても(英語が役立つことも多いので)、息子が困るのは、夜の日本の男子ばかりが部屋で集まる時の「下ネタ」のボキャブラリーだったそうです。いったい何の話をしているか、さっぱりわからず、補習校の後輩に通訳を頼んでも、彼も小学校高学年でアメリカに来ているので、その方面の情報に遅れがあり、意味がわからないことが多かったそうです。3ヶ月前に、日本に帰った子にいたっては、14歳なので、「眠たいよ~~。もういいかげんにして、みんな早く寝ようよ~~!」と大騒ぎするので、先輩から叱られたりと、アメリカ組は、すっかり夜の部の討論から見放されてしまったようです。

補習校高等部でもカバーできないボキャブラリーが、色々あるのだなあと、なんだかしみじみ考えこんでしまいました。

2012年8月2日

大連から戻ってきました








大連の海鮮料理屋さん
材料の魚を選び(量り売り)
調理法を指定して、テーブルに運んでもらいます。







大連からようやく戻ってきました。

ネット環境が悪くて、陸の孤島にいるような気がしました。ホテルからブログをアップしようとすると、全くつながらなくて、「内容が不適切で、ブログ自体を削除されてしまったのかと。」一瞬頭が真っ白になりました。

落ち着いて考えていると、「そうそう、中国ではグーグルが撤退したんだった。」ことを思い出し、少し安心しました。そんなわけで、日本に帰ってきてから、久しぶりにブログを書くことができるようになりました。

大連の1週間は、あまりにたくさんのことがありすぎて、何から書いていいかわからないし、今、洗濯物の山に埋もれているので、頭と家の中を整理して書こうと思います。

ご心配をおかけしました。私はまだ生きています。(エ? 誰も心配してなかったって?)

洗濯物が乾いたら、今度は日本での撤収準備にかかります。なんだか、今回の滞在は出たり入ったり、落ち着かないです。