2013年2月28日

ありがたい情報, どうでもいい情報

どこを見渡しても、一面雪景色です

 息子は、体験入寮で学生さんから、色々有益な情報をもらったそうです。

● 1年目の無理のないクラスの取り方

● ソーシャルライフと勉強のバランスのとり方

● キャンパスの外の町の様子

● 人気の高い教授

● インターンシップにつながるキャンパス内の仕事


あまり、有益そうにない情報もありました。

● どこの寮に可愛い女の子が多いか。(来年度は総入れ替えなので今年の情報は使えない)

● 全く興味のないジャンルのバンドのライブ情報 


あとは、親にシェアできない情報がかなり多くあったようです。(たぶん、その分野のほうが、ずっと多いことでしょう)

2013年2月27日

あの日から2年



SDJEN(サンディエゴ日系ネットワーク)からのお知らせです。

2011年3月11日に起こった大震災の犠牲者、そのご家族への黙祷を下記のように行いますのでお友達お誘い上お越しください。

主催者:San Diego Japanese Emergency Network(SDJEN)

日程:3月10日(日曜日)  
*注:日本時間は3月11日ですがそれに合わせて10日に行います。
お間違いないようにお願いします。


時間:集合は午後7時から、黙祷は8時ちょうどに始めます。
*注:この日から夏時間に変わります。

場所:South Mission Beach Park, North Jetty Rd, San Diego
スマートフォン、PCでは上記のように打ち込んでください。

備考:LEDのキャンドルをお持ちください。ビーチに“いのり”と描きます。
もしくは携帯で。http://tinyurl.com/adumeq8
食べ物は準備していませんので、各自用意してください。暖かいジャケットやビーチチェアーも必要かもしれません

SDJEN 事務局 760-731-0812

2013年2月26日

実を取るか、名を取るか?

大学って、こういうジャンクが充実しています
プレジデンシャル スカラシップ(PS) 選考会に何回か行きましたが、意外だったのは、インド人の家族をよく見かけることでした。

 前の晩のレセプションや、ランチで一緒になりことがあり、色々な方とお話しする機会がありました。「パーフェクトGPA, SAT高得点、AP5をたくさん」という優秀なお子さんたちをお持ちの、お父さんはIT関連、お母さんは専業主婦というパターンです。

 「うちの子供は、将来医者になりたいので、学部ではなるべくお金を使わないようにしています。この大学は、メディカルスクール進学のための科目が充実し、インターンシップ、海外プログラムで医学部進学に有利に働くようにプランされ、教授の推薦状も丁寧に書いてくれるそうです。この大学の他にも、PS選考会のお誘いを5つもらっています。」とあるお父さんが説明してくれました。他の家族も、自分の子供の将来、親世代の老後を堅実に計画していました。

 すごいなあと、思ったのは、どのお父さんも自分がアメリカ企業で働く中で、この国でのインド人の立ち位置を見極め、次の世代がアメリカ社会の中で地位を上げていくには、どうすればいいか、長いスパンで考え抜いていることです。

 日本人にありがちな、親自身も次の数十年のプランが揺れている、ということはなく、「親はアメリカに骨を埋める覚悟できているし、子供にもこの国で活躍するよう育ててきた。」という骨太プランがあります。

 移民としてアメリカに移住してきた中国人、韓国人の子供たちも親から背水の陣で臨むように子供の頃から躾けられてきたので、シビアです。しかし、いまだに知名度にこだわるので、プレジデンシャルスカラシップ選考会で出会うことはありません。

 その点、インドの人たちは、「大学は、難関大学院進学のための通過点。とにかく大学4年間を安く上げ、有利に大学院に入れるよう準備する」ということに焦点を絞っていて、その合理的な考えに、感動しました。

 

 

 
 

2013年2月24日

復帰

こういう道を横切って教室移動するのは、骨が折れます。


 10日間のツアーを終えて、息子は明日から学校に戻ります。

 6日間は、冬休みだったのですが、4日間欠席しました。授業がどれほど進んでいるか、ちゃんとキャッチアップできるか心配です。友達が、毎日スキャンしたノートを送ってくれていましたが、どれだけ本人が理解できているのか不明です。

 それよりもっと心配なのが、息子の生意気な態度です。クラスルームや寮で大学生のお兄さん、お姉さんと背伸びをしてお付き合いしていたので、すっかり偉そうな口の利き方になり、これを改めないと「お前何様?」とみんなから引かれるイタい高校生です。

 大学入学後、初めて帰省した子供さんが「いっぱしなことを言って、カチンときた」という親御さんの話を聞きましたが、なるほど、こういうことかと、頷きました。



2013年2月22日

希望の星

飛行機から見下ろした景色

 今日、とあるリベラルアーツの大学の奨学金の選考会で、日本人の青年と話す機会がありました。

 彼は、アメリカで日本語教授法の修士号を取り、この大学で日本語の先生として働いているそうです。

 「東京からこんなに寒い雪深い田舎に来て、大丈夫でしたか?」と聞くと、「全然平気です。きれいだし、ちょっとドライブすれば、都会にも出れるし、田舎だからこそ、勉強する環境としては、最高です。」と溌剌とした表情で答えてくれました。

 得意の剣道をアメリカ人に広めたくて、剣道部をスタートさせたそうです。学生の日本での就職口のコネコションを強化するために、何度も学生を連れてシカゴの領事館を訪れたり、日本語弁論コンテストをサポートしたりと、精力的に日本語教育のために外部と連携を取っているそうです。

 日本でお坊さんをされているお兄様がこの大学を訪問されたときには、みんなで一緒に座禅を組んで、大好評だったそうです。

 高校生の日本語履修者は中国語に取って代わられて減少しているそうですが、大学ではむしろ増えていると聞いて、嬉しくなりました。

 このように、若く、ガッツのある青年がアメリカ人の若者に日本語、日本の文化を広めてくれているかと思うと、希望が持てます。

 Mさん、これからも頑張ってくださいね。

2013年2月21日

こんなに寒いのに!

長いつらら
息子が手袋の片方をなくし、困っているので、買い物に行きました。

 でも、日中でも氷点下だというのに、お店は春と夏物だらけになっていました。女物は花柄、タックトップ、麦藁帽子、男物はゾウリ、ショートパンツ、サングラスです。

 11月から雪に埋もれているせいか、「冬の装いはもうコリゴリ。春が待ちきれない。夏に恋焦がれる」状態です。

 私がミネソタに住んでいた時も、2月にフロリダ、ハワイに行く人が多く、「冬の寒さから一休み」と言って、クリスマス休暇の後に更にもう一回バケーションを取るのが年中行事でした。

 半年近く雪に閉ざされると、鬱にもなりやすく、特殊なライトを買って、時間を決めて光に当たる人もいました。

 大学も、1月はずっと休みにしているところが多いです。早く卒業したい学生のために、3週間だけの冬学期を用意しているところもありますが、オファーされている科目は少ないです。冬学期は、ヨーロッパのキャンパスの特別講義といった、楽しい系に人気があるようです。

 というわけで、真冬だというのに、洋服屋さんには、手袋が売っていなくて、ようやくドラッグストアーで見つけました。クリアランスということで、安くはなっていましたが、変な色しか残っていません。色がどーのこーのと言っていられる状況ではないので、買いました。「今度無くしたら、もう買えないからね。」と息子を脅しておきました。

 

 

2013年2月19日

未知なる世界

真冬の平日でもキャンパスツアーに参加する人がいます。

 今回寮に泊めていただいて、学生さんから大学の様子を色々教えていただいて、息子はとても勉強になったと喜んでいます。

 先月も別の大学でお泊りをしたのですが、小学校からずっといっしょだったギャレットと再会ということで、積もる話をしたり、ギャレットの友達(つまりギャレットと性格が似たタイプ)の人とだけ一緒に過ごしていたので、未知の世界というには程遠いものがありました。場所が高校から大学に変わっただけで、息子にとってのComfort Zone(心地よく感じる環境)から抜け出ることはありませんでした。

 しかし、今回は、知らない人ばかり、しかもライフスタイル、考え方がまったく違う人たちに囲まれ、全てが目新しく感じたようです。

 一番の収穫は、自分が全く考えてもいなかった分野のことを教えてくれる学生さんに出会えがことです。たとえば、経済学という分野は、息子にとっては、ただ高校でAPクラスを取り、ひたすら宿題に追われるだけで、アカデミックに楽しめるものとは考えたことがなかったのですが、大学で実際に学ぶ人から聞く経済学は、とてもエキサイティングな学問であることがはじめてわかったそうです。

 

 

2013年2月17日

オバマ大統領を被爆地へ









 2011年のテニー博士平和セミナーのためにご尽力くださった徳留絹枝さんが毎日新聞に寄稿されました。

 戦争の記憶が薄れていく中、お互いの辛い体験を知ろう、痛みを分かち合おうとすることは、本当に大切です。

 ぜひ、オバマ大統領に被爆地を訪れていただきたいです。そして、日米双方で、過去に何が起こったかを知り、二度と繰り返さないために、何をするべきかを考え続けていきたいと思います。

 私たちの子供たちには、二度とこのような辛い目にあわせたくありません。彼らは、世界中の人たちと深い友情を築いて欲しいと心から願っています。


*記事をクリックすると、少しだけ画面がクリアーになって読みやすくなります。


体験お泊りプログラム

大学によって違いはあるかもしれませんが、体験お泊りプログラムのスケジュールは、ザックリこんな感じです。

1日目 

● 夕方  アドミッションオフィスで待ち合わせて、ホストになってくれる学生さんと待ち合わせ、もしくは、空港まで迎えにきてもらう。

● ホストの人に寮に連れていってもらう。

● 学生用カフェテリアで一緒に食事

● 寮の仲間を紹介してもらう


2日目

● 朝ごはんを一緒に食べる

● あらかじめ、自分の興味にあわせた体験授業の時間割に従って、出席

● アスリートの学生はコーチ、チームメートに会ったり、施設見学

● 昼ごはんをご馳走になる

● 空港に送ってもらうか、自力で帰る



 寝袋、枕、洗面道具、タオルなどは自分で用意することになっています。シャンプーなどは、ホストの学生さんのを貸してもらってもいいそうです。予備のベッドがない時は、マットレスを誰かが持ってきてくれて、床の上に寝るそうです。


 大学のアドミッションが用意してくださったプログラムの他にも、自分で直接教授に連絡を取り、クラスに出席させていただくこともできます。





2013年2月15日

寒い!!


 突然ですが、私は今雪国にいます。マイナス20度という寒さに凍えています。

 息子の大学訪問、スカラシップ選考会、体験授業、入寮トライアルなど色々なプログラムがあり、雪道を運転しています。

 極寒地域の大学をいくつかアプライしているのですが、果たして息子が耐えられるかどうか試す意味もあって、よりにもよって、一番寒いときに来て見ました。

 厚手のコート、手袋、帽子、マフラー、使い捨てカイロと、身支度が大変です。息子は早速、手袋を片方無くして、手が痛いとブツブツ言っています。

 とりあえず、今日の午後、1校目の入寮トライアルが終わりました。昨日と今日いくつかの授業に出席し、学生寮に泊まり、3食ご馳走になってきました。

 授業は、わくわくするほどおもしろかったそうです。寮は、遅くまで学生さんと話し込んでしまい、気がついたら1時を過ぎていたそうです。

 ご飯は、大好きなジャンクを中心に選び、こんなにおいしいものを1日3回も食べられて素晴らしいと思ったそうです。

 私は、サンディエゴは、やはり世界一住みやすい街だと、改めて南カリフォルニアのよさをかみしめています。

 






2013年2月13日

もうじき補習校の卒業式


 12年間お世話になった補習校を息子は来月卒業します。

 現地校を夏に卒業して、日本に帰り、帰国生として大学に合格した生徒、秋からアメリカの大学に通っている生徒、息子のようにまだ高校に通っている生徒、色々います。

 日本に行った子供の何人かは、卒業式のためにサンディエゴに帰ってきます。先生方、学級委員のお母さんたちが追い出しコンパを企画してくださっています。今年は、親も参加します。50人収容のお部屋を押さえてくださったそうです。

 現在病気療養中の先生もいらっしゃって、みんなで早く良くなっていただきたいと、千羽鶴を折ったり、カードやメールを書いています。気分がよければ、ちょっとの間だけでも、卒業式に顔を見せてくだされば、みんな喜ぶと思います。

 お母さんたちは、子供たちの進路、合格のニュースを聞いて、「よかったね。」「がんばった甲斐があったね。」と心から喜んでいます。まるで、親戚の甥っ子姪っ子のような感じです。

 先生がたも、子供たちの途中のバトルをよくご存知なので、「お母さんも、子供たちもよくやったね。頑張ったね。」と目をうるうるさせてこの旅立ちの時をシェアしてくださっています。

 こどもにとっては、一緒に頑張れる友達がいて心強かったし、親にとっても助け合い、励ましあえる仲間がいたからこそ、異国の子育てをなんとか終えることができました。

 補習校がなかったら、たった一人で、息子をどうやって育てていっただろうと考えると、ちょっと怖いです。

2013年2月11日

うれしいニュース


 先週から、お友達から電話で子供たちのグッドニュースを教えていただいています。

 一人は、補習校でずっと仲良くして頂いていた友達の子供さんの合格のお知らせです。ずっとスポーツで頑張っていたので、全米各地の大学からお誘いがありました。でも、本人が一番行きたいと思っていた大学からついにOKが出て、本当によかったです。

 「少し遠くなるけど大丈夫?」と聞いたら「家から出て行ってくれて、せいせいする。」なんて空威張りしています。本当はすごく寂しく思っていることでしょう。今まで家族総出で試合の応援をしていたので、これからも応援遠征旅行は続くことでしょう。

 今週は、日本の幼馴染の子供の合格のニュースです。お母さんがシングルマザーとして頑張っているので、あまり負担のない国立大学の夜間を選びました。私と、実家の両親は頑張って推薦状を書いたので、何だか自分のことのように嬉しいです。

 昼間はアルバイトをして、お母さんと同居していれば、年間数十万円ほどの授業料も余裕で払えそうです。お母さんは、「浮いたお金を使って、簿記などおダブルスクールも可能」と今から就職に向けてのサポートも考えています。

 一気に春が来たみたいです。

 

 

2013年2月10日

すごい犬がいた!名前はバットマン


 交通事故に遭い、脊柱を痛め歩けなくなった犬がボランティアの人たちの助けによって、日常の生活を営めるようになりました。

 犬の友達とも仲良く遊べるようになり、「アメリカで、もっとも幸せな犬」として選ばれました。

 獣医学生の献身的な世話とリハビリのお陰で、今では車椅子なしでも歩けるようになりました。本当にスゴイ犬です。

 8月にこのビデオが公開された時には、引き取ってくれる家庭を探していたようですが、その後見つかったでしょうか?バットマン君の近況ビデオを早く誰かがアップしてくれないかな?


2013年2月8日

ひやり~!!





 息子は、数日前に東海岸の大学の卒業生とスカイプインタヴューがありました。

 その大学は、数年前までは、アドミッションの担当者が直接会ってインタヴューをしていたそうですが、カリフォルニアからの応募が急激で対応できなくなり、西海岸の他州に住む卒業生のボランティアが受け持つようになったそうです。

 息子のインタヴューをしてくださる方は、シアトル在住です。

 中西部のリベラルアーツカレッジのアドミッションの方も「この数年でカリフォルニアからの応募がすごく増えた」とおっしゃっていました。カウンセラーの先生のお話を伺っても、「このところのリベラルアーツカレッジの人気はうなぎのぼり」なのだそうです。カリフォルニアの財政危機が影響しているのでしょうか。

 数値を見てみても、確かに合格率がこの3年で驚くほど低くなっている大学がけっこうあり、大学関係者の話を裏付けています。

 息子がレギュラーデシジョンで受験した大学は3月に入らないと合否がわかりませんが、なんだか道が険しそうです。


 ところで、私は、部屋の隅から、そっとインタヴューの様子を見ていました。(画像に入らないように用心して)
 
質問は、スタンダードなものばかりでした。

● なぜ、この大学を選びましたか?どんな勉強をしたいと思っていますか?

● サンディエゴから、寒い東海岸大丈夫ですか?

● 高校で、一番感銘を受けた先生のことを教えてください。

● 高校の授業で一番好きな科目は何ですか?どこがそんなに気に入りましたか?

● リーダーシップの経験を話してください。

● 課外活動で、あなたが一番力を入れていることはなんですか?


捻っていない質問なので、そばで聞いて安心しました。

ところが、最後に話がとんでもない方向に転換してきました。

● 君の学校で気に入らないところはなんですか?

という質問で、息子が「うちの学校の規律の厳しさは聖書の教えにのっとっているということだが、聖書を細かく読んでみても、そんなことは書いてないので、拡大解釈のように思える。これは、人間が勝手に作り出した規則としか思えないものがあり、自分には全く納得できない。たとえば……」と長々と答えました。

宗教学オタクで、理屈をこね回すのが大好きな息子の答えに、インタヴュアーが飛びつきました。そして、さらなる質問を続けてきました。


● 私たちの大学は、カソリック大学で私自身も家族全員カソリック教徒です。私たちのカソリックの教義と、クリスチャンハイスクールで君たちが毎日学んでいる、プロテスタントの教義の違いをどのように考えていますか?

カソリックの信者さんの信仰をきちんとリスペクトした上で、自分の考えを言えるといいなあと、緊張しました。

なんとか、想定外だった質問も無事にクリアーし、インタヴューが終わりました。

電話が終わった息子に、「ドキッとしたね~。こんな質問初めてだったね。」というと、「別に。ふつ~。」とかわいくないこと、この上もない答えでした。




2013年2月6日

大丈夫!


 今日親友から電話がかかってきました。彼女にとって唯一のご家族が病気になり、看病をしてきましたが、病状が悪化し数週間前からは、ずっと病院に泊り込んで付き添っていました。

 「これから病室で最後のお別れをしてくるところなの。その前にあなたの声が聞きたくて、電話してみたの。私にはもう家族がいなくなるの。一人ぼっちになっちゃう。とても、辛くて、不安だけど、頑張るね。」と気丈な声で、話していました。

 仕事をしながら末期がんの患者を看取ることは、本当に大変なことで、彼女の健康のことも心配していました。近くに住んでいれば時々立ち寄って、差し入れをしてあげたり、話を聞いてあげることもできたのに、遠く離れて住んでいて、何もしてあげることができずに、もどかしい毎日でした。

 私にできることは電話をかけたり、メールを送ること、祈ることだけでした。どうか、彼女が不安にならないよう、助けてくれたり、慰めたりしてくれる人たちが現れるよう、看病する彼女の健康も守られるように願うばかりでした。

 「いつも、祈ってくれてありがとう。すごく力づけられたよ。お陰で、ここの病院の医療スタッフのみなさんに本当によくしてもらってすごくありがたいの。家族はこれでいなくなるけど、大丈夫。姉妹のようなあなたがいるから、今度は私がサンディエゴに行くね。仕事も拡大して、サンディエゴに出張でちょくちょく行けるようにするから。これからも、一緒にがんばろう。」というメッセージで会話が終わりました。

 私も、血が繋がっている者だけが家族とは思っていません。お互い心配しあったり、大切に思っていれば、ファミリーです。彼女は私にとって大切な家族の一員です。だから、彼女がこれから一人ぼっちで生きていくわけではありません。たとえ離れていても、今は電話代も安く、スカイプもあり、交通の便もよいので、色々な形で密にコンタクトを取り続けられるはずです。

 それに、しばらくは彼女は一人ぼっちでしょうが、近い将来新しい出会いがあり、家族が増えればもっと素晴らしいことでしょう。今までは看病で仕事をセーブせざるを得なかった部分もあったので、これからはもっと自分のペースですすめていけます。私は、彼女のことを心配していません。彼女は、大丈夫です。必ず、新しい幸せな人生を歩んでいけると確信しています。


 

2013年2月5日

「カワイイ」、「無垢そうに見えること」はそんなに大切か?


    昨日アメリカ人の友達に会ったら「アイドルの丸刈り」のことでもちきりでした。「酷すぎる。まるで、ホロコーストの女性収容者のようだ。やせこけて、おびえた顔をして、誰かから強制的にやらされたのか、あるいは自主的にそうしなければならない状況だったのか。女性の尊厳というものは、あの国にはないのか。カワイイっていったいどういう価値があるの?いい年をして子供っぽいこと、無垢であることに何の意味があるの?馬鹿ってことでしょ。」と話せば話すほどヒートアップしてしまい、長時間話し込んでしまいました。

 確かにティーンエージャーの男の子たちが夢中になるのは仕方がないにしても、いい年をしたおじさんたちが、彼女たちを性の対象として、しかも彼女たちの純潔を妄想してはまり込んでいるのが怖い現象です。

 アメリカ人の男性と結婚し、娘を一時期日本で育てていた友人のことを思い出しました。その娘さんは、ハーフでそれは可愛らしくて、人に会うたびに「かわいいね。モデルになれるよ。芸能界には入れるよ。」と言われるので、ご両親は心配して、「娘をほめてくださるのはうれしいけれど、かわいいというのは、自動的に与えられたもので、自分で努力して得たものでないもので、そのことに触れないでください。小さな子供たちに対して親切である、とか、絵が上手であると褒めてやっていただけませんか?」と率直にお願いしていました。

 「かわいいから芸能人になって、それからどんな人生が待ち受けてると考えて、娘にあんなアイディアを吹き込むんだろう?20歳くらいで、ピークを迎え、谷底人生ってわかって言ってるのかな。」と本音をつぶやくこともありました。

 結局、数年後その家族はアメリカに引っ越してきました。お父さんは東京で素晴らしいキャリアを築いていたのですが、娘の人生のほうが大切だからと、アメリカで一から出直しました。

 小学生の娘さんは、道を歩くと変な男につきまとわれたり、ストーカーが家を突き止めて手紙を送ってきたりと、気持ちの悪いことが続きました。

 アメリカに移ってからのお嬢さんは、「自分の意見をはっきり言う、リーダーシップのある女の子」「スポーツも勉強も両立する、だけどおしゃれにもこだわりのある子」として子供時代を満喫しました。大学、大学院と優秀な成績で卒業し現在は「タフなネゴシエーターとして」金融機関で働いています。

 今は、かわいかった面影はほとんどありませんが、迫力のある美しさでみんなを魅了しています。もちろん、周囲の人たちから尊敬を受けています。

 「日本にあのままいたら、この子はどうなってただろうね。鼻持ちならない子供に成長して、かわいさを失ってからは、惨めな人生だったでしょう。」とご両親は胸をなでおろしています。彼女がもしアイドルになっていたら、「おじさんの目に映る無垢でカワイイ女の子」を演じ続けていたでしょうか?人に好かれること、人の顔色を伺うことにエネルギーを費やしていたでしょうか?

 私が心配するのは、「カワイイ」という価値基準がアイドル、モデルといった特殊な職業の女の子だけに求められているのではなく、普通に生活している子供たちにも蔓延していることです。小学生が「大人になってなりたい職業」にアイドルがトップになり、「アイドル学科」なるものが短大に新設されたりすることを憂えています。

 アメリカのミスティーンの選考を見ていると、「歌がプロ並みにうまい。」「子供の頃からバレエを極めている」といった秀でたものを持ち、「将来は女優になりたい」「小児科医になりたい」といったしっかりとしたキャリアプランももっています。誰かの作り出した価値基準に自分を無理やりはめこむのではなく、「私はこれが得意です」と各自が自分らしさをアピールしていることが、素晴らしいです。

 同じようにスポットライトを浴びているようでも、日本とアメリカではずいぶん違っていると、ためいきをつく今日この頃です。

 


2013年2月3日

日本には希望がある


数日前にご紹介した、被災地からサンディエゴにホームステイにやってきた高校生の男の子が、さらなる感想文を送ってくれました。

SDJEN(サンディエゴ日系緊急ネットワーク)とその活動をサポートしてくれた人への感謝の思いを綴っています。

高校2年生が、初めてアメリカに来て、毎日見知らぬ人たちに出会い、新しい文化、言葉、生活習慣に触れ、さぞかしカルチャーショックもあったでしょうに、きちんと受け入れ側の人たちの思いも理解し、被災地の代表として自分の意見もきちんと言えることに驚きました。

自分のアメリカでの経験のみならず、受け入れ側のSDJENの存在価値まで分析してくれているのもすごいことです。他人の真心をしっかり受け止める熱いハートを持ち、きちんと自分の考えをまとめ、伝えるコミュニケーション能力を持つ高校生がいる日本にはまだまだ望みがあるとうれしくなりました。

私の日本にいるお友達や、東海岸でサンディ台風の被害に遭ったお友達もこのホームステイプログラムに寄付してくれました。彼女たちのまごころも、今回渡米した子供たちに通じたことでしょう。

参加した子供たちが、今回のプログラムを経験したことを、地元のみんなにもシェアしてくれると期待しています。




まず、2週間本当にありがとうございました。

僕は、実際にSDJENのメンバーと交流してみて、たくさんの話を聞いて、SDJENは本当に素晴らしいグループだと感じました。

みんなができるだけ話し合いに参加しようとして、その話し合いの中で復興の支援のために何をするべきなのかを真剣に一人ひとりが意志を持って話し合い、何をするか決めたら、その目的のためにみんなでお金を集めたり、一生懸命に行動する。これは、簡単に出来る事では絶対にないと考えています。

一人ひとりがあれだけ意志をもって復興を支援したいと思い団結し、被災地からあれだけ離れているサンディエゴから一生懸命に被災地を応援してくれている。このことは、僕にとってはそれだけで復興を支えていこうと思う理由になりました。これからも、復興に向けてたくさんの壁にぶつかるんだと思います。そんな時このプログラムは、僕を支えてくれるだけでなく、僕がこのプログラムで得た経験を伝えた人たちにとっても大きな支えになるほどの素晴らしいものです。

また、僕はサンディエゴで、心のケアこそがこれからの復興に不可欠だと伝えました。二年近い時間が経った中で、大切な人を失ってしまった人、住み慣れた家や町がなくなって、未だにがれきが山積みになっている現状を受け入れられない人は、まだまだたくさんいます。どれだけ十分な食べ物が届いて、町の施設が形だけ元通りになったとしても、被災した人たちが前を向いて生きていく事ができなければ、それは復興と呼ぶことはできないのではないでしょうか。支援物資を届けてくれる人たちも、ボランティアで来てくれる人たちも、このことを忘れないで欲しいと僕は思っています。

僕がサンディエゴに行ったとき、これだけ離れた地からどんな支援ができるのだろう?と悩んでいる人達にたくさん会いました。僕は、遠く離れているサンディエゴだからこそ出来る事があるのだと思います。「これだけ遠いサンディエゴから、これだけの人が本当に心配して、皆が被災地を支えようとしている。それは、時間が経った今でも変わらないし、これからもずっと支えていきたい。」この気持ちを被災した人達に伝えれば、それは大きな心が前に進むきっかけになってくれるし、SDJENしかできない事じゃないかと思います。なぜなら、これを伝え続けるには、「人間の力」が必要だからです。お金の力なんかでは絶対に無理です。僕は、SDJENにはそれができる力があると感じたので、これからもそのための支援を続けていってほしいと願っています。

最後に、SDJENは本当に素晴らしいグループです。このグループの存在と活動内容を知るだけでも、被災者の心は前を向けると思います。でも、僕はこのホームステイプログラムに応募するまで、SDJENというグループを全く知りませんでした。せっかくあれだけ被災地のために活動してるのだから、僕はこのグループの事をもっとたくさんの被災した人達に知ってもらいたいし、そのために、たくさんの事を被災地で伝えていきたいと思っています。なので、SDJENの皆さんにも、被災地に自分たちの活動をもっと広めていってほしいと思います。


2013年2月2日

体育会系アメフト部


 2月のぽーと会では、「アメリカで育った子供が日本に大学に進学し、体育会系アメフト部、就活を通して学んだこと」というテーマでお話を伺います。

 アメリカの高校のアメフト部で大活躍したお子さんが、あまり日本語能力の高くないまま日本に留学し、体育会系アメフト部に入部された際のカルチャーショック、大学の授業についていく大変さ、アルバイト、日本の大学生と一緒に就活して苦労した体験談をシェアしていただきます。

 アメフト部とはいえ、「体育会系」なので上下関係が厳しく、アメリカ生まれの息子さんは当初フレンドリーに「ハーイ」と先輩に手を上げて、後々まで苦労することになったそうです。

 最初は、辛いことが多かったものの、持ち前の明るさと、ガッツでなんとかこの3月に卒業し、4月から大手企業での就職も勝ち取ることができました。

 私たちの子供も、将来的には日本に住む可能性があるので、教えていただくことも多いはずです。皆様、お誘いあわせの上ご参加くださいね。