2012年5月28日

Jくんと仲間たち (6)



このセミナーで一番心を打たれたのは、Jくんと生みのお母さんとの対面でした。

長い間疎遠でしたが、本当に心温まる再会となりました。


お互い心にあるわだかまりも消え、別れ際にはハグをすることができました。3歳の時に撮って以来チャンスがなかった親子写真も今回素晴らしいものが出来上がりました。


お母さんも「今まで生きてきた中で、今日が一番幸せな日でした。もう、思い残すことはありません。」としみじみ話していました。


お母さんは働きすぎて体を壊してしまうほど、長年1人で苦労されてきましたが、息子のJ君が立派に成長し、日本人の血を引く次の世代の子どもたちに話をしてくれて、感慨無量だったそうです。

Jくんとお母さんをを少し遠くから見守るフォスターブラザー、仲間たちの姿が印象的でした。


お母さんは、帰宅してから、Jくんを愛情豊かに育ててくださった里親さんに心を込めてお礼状を書いたそうです。

お母さんから、私へのメッセージもありました。

「ずっと以前から、息子との再会、和解、そして息子を日本に連れて行くことはあきらめていました。あまりにも超えなければならないハードルが高すぎ、埋めなければならない溝が深すぎました。この機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。私にとっては、このような日が来るなど、夢にも思っていませんでした。私は30年前、幼い子どもを抱えた、この国で使える職業的なスキルを持たない貧しいシングルマザーでした。どうしていいかわからず、いくつかの日本人コミュニティーに助けを求めましたが、誰も相手にしてくれませんでした。朝早くから夜遅くまで最低賃金で働き続けた結果、どんどん状況が悪化して、子どもも失いました。情報さえあれば、決してここまでの愚かな選択はしなかったでしょうが、当時助けてくれる友達、ネットワークもなく、真面目だけが唯一の解決策と信じ込み、働き続けました。結局、どん底にいた私を助けてくれたのは、日本人以外のコミュニティーでした。中でも一番私たちの命を救ってくれたのは、不法入国していたメキシコ人たちでした。自分たち自身も困窮を極める中、私の痛みを知り、何とか助けてやろうと奔走してくれました。ぽーと会が、これからも困っている日本人のお母さんたちと子どもたちの砦になっていただくことを、願っています。どうか、がんばってください。」とのことでした。

彼女の言葉の重さを今かみしめています。(ズシ~ン)


2 件のコメント:

  1. 以前、行き倒れの日本人が病院に収容された際、言語に問題があったので、その病院の研究部に勤めていた日本人がよばれました。
    その人の日本の身内に連絡しても
    勝手に外国に行って好き勝手に生きている人ですからと、ケンモホロロ。
    日本人会、日本人教会、いろいろなところに頼みましたが、みんな無視。そして遂に、彼は、自宅につれて帰ってその女性を療養させたのです。その女の人は、元気になったら、何の感謝もせず家を出て行きました。
    だいぶたってから、その話を聞きました。面倒を見たのは、ふつーの地方出身の男の人です。後光さしました!

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  2. なかたさま、

    ふつーの地方出身の男の人の偉大さがきらりと光りますね。

    「人に誠心誠意で接する」、「他人の痛みを分かち合う」といった、当たり前のことができる人が少ない世の中になったのでしょうか?

    もっと残念なのは、お世話になったにもかかわらず、感謝もせずに出て行った女の人です。

    でも、きっとお世話された男性は、彼女からのお礼など期待せずに、「なすべきことを、なしたまで。」と飄々とかわしていらっしゃるのでしょうね。

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