2013年2月5日

「カワイイ」、「無垢そうに見えること」はそんなに大切か?


    昨日アメリカ人の友達に会ったら「アイドルの丸刈り」のことでもちきりでした。「酷すぎる。まるで、ホロコーストの女性収容者のようだ。やせこけて、おびえた顔をして、誰かから強制的にやらされたのか、あるいは自主的にそうしなければならない状況だったのか。女性の尊厳というものは、あの国にはないのか。カワイイっていったいどういう価値があるの?いい年をして子供っぽいこと、無垢であることに何の意味があるの?馬鹿ってことでしょ。」と話せば話すほどヒートアップしてしまい、長時間話し込んでしまいました。

 確かにティーンエージャーの男の子たちが夢中になるのは仕方がないにしても、いい年をしたおじさんたちが、彼女たちを性の対象として、しかも彼女たちの純潔を妄想してはまり込んでいるのが怖い現象です。

 アメリカ人の男性と結婚し、娘を一時期日本で育てていた友人のことを思い出しました。その娘さんは、ハーフでそれは可愛らしくて、人に会うたびに「かわいいね。モデルになれるよ。芸能界には入れるよ。」と言われるので、ご両親は心配して、「娘をほめてくださるのはうれしいけれど、かわいいというのは、自動的に与えられたもので、自分で努力して得たものでないもので、そのことに触れないでください。小さな子供たちに対して親切である、とか、絵が上手であると褒めてやっていただけませんか?」と率直にお願いしていました。

 「かわいいから芸能人になって、それからどんな人生が待ち受けてると考えて、娘にあんなアイディアを吹き込むんだろう?20歳くらいで、ピークを迎え、谷底人生ってわかって言ってるのかな。」と本音をつぶやくこともありました。

 結局、数年後その家族はアメリカに引っ越してきました。お父さんは東京で素晴らしいキャリアを築いていたのですが、娘の人生のほうが大切だからと、アメリカで一から出直しました。

 小学生の娘さんは、道を歩くと変な男につきまとわれたり、ストーカーが家を突き止めて手紙を送ってきたりと、気持ちの悪いことが続きました。

 アメリカに移ってからのお嬢さんは、「自分の意見をはっきり言う、リーダーシップのある女の子」「スポーツも勉強も両立する、だけどおしゃれにもこだわりのある子」として子供時代を満喫しました。大学、大学院と優秀な成績で卒業し現在は「タフなネゴシエーターとして」金融機関で働いています。

 今は、かわいかった面影はほとんどありませんが、迫力のある美しさでみんなを魅了しています。もちろん、周囲の人たちから尊敬を受けています。

 「日本にあのままいたら、この子はどうなってただろうね。鼻持ちならない子供に成長して、かわいさを失ってからは、惨めな人生だったでしょう。」とご両親は胸をなでおろしています。彼女がもしアイドルになっていたら、「おじさんの目に映る無垢でカワイイ女の子」を演じ続けていたでしょうか?人に好かれること、人の顔色を伺うことにエネルギーを費やしていたでしょうか?

 私が心配するのは、「カワイイ」という価値基準がアイドル、モデルといった特殊な職業の女の子だけに求められているのではなく、普通に生活している子供たちにも蔓延していることです。小学生が「大人になってなりたい職業」にアイドルがトップになり、「アイドル学科」なるものが短大に新設されたりすることを憂えています。

 アメリカのミスティーンの選考を見ていると、「歌がプロ並みにうまい。」「子供の頃からバレエを極めている」といった秀でたものを持ち、「将来は女優になりたい」「小児科医になりたい」といったしっかりとしたキャリアプランももっています。誰かの作り出した価値基準に自分を無理やりはめこむのではなく、「私はこれが得意です」と各自が自分らしさをアピールしていることが、素晴らしいです。

 同じようにスポットライトを浴びているようでも、日本とアメリカではずいぶん違っていると、ためいきをつく今日この頃です。

 


0 件のコメント:

コメントを投稿