2013年3月29日

地球のどこかで、元気で幸せにしていれば



 J君の婚約について、生みのお母さんと話しました。

 J君が幼かった頃、お父さんに棄てられた後、誰からもサポートを受けることなく、日系社会からも見捨てられた形で、サンディエゴの片隅で母子は暮らしていました。お母さんが、いくつも掛け持ちで仕事をしなければならなかったので、J君は信頼できると思った家に預けられました。しかし、そこでは取り返しのつかないことが起こっていました。働きづめのお母さんは、他に頼るあてもなく、どうしてよいかわからず、きちんと対応ができませんでした。毎日睡眠3時間で働いていたので、頭が麻痺していたのかもしれません。

 外部の人の通報で、Jくんは保護され、お母さんは親権を失いました。それからは20年以上ほとんど音信不通でした。去年からようやく、少しずつお互いのことを思いやることができるようになった矢先に、J君が結婚して海外に行ってしまうことになり、お母さんはさぞかし心を痛めているだろうと心配でした。

 しかし、彼女は、「私のことを心配しないで。私はJが地球のどこかで生きていて、元気に幸せにしていると思うだけで、十分満足だから。去年までは、私が死ぬまでJに会えるとも考えてなかったくらいだから、この1年とっても幸せだった。彼の幸せのためにずっと祈るから大丈夫。」と答えました。

 お母さんは、Jくんの結婚祝いのために、まとまったお金を用意するそうです。弁護士を雇い、彼女が亡くなったあとの貯金は全てJ君に遺せるように手続きが完了しました。つましい生活の中で、彼女ができる精一杯のことをして、Jくんを送り出そうと準備をしています。

 「Jの子供時代を悪夢のようにしてしまい、フォスターケアーに預けられた時も何もしてやらず、大学の費用も全くサポートしてやることもなかったから、せめて遺せるものは全て遺してやりたい。」と願っています。

 30年前、この母子が路頭に迷っている時に知り合っていたら、ここまで酷い離散にはならなかったのではないかと悔やまれてなりません。

 今は、SDJENをはじめ様々なサポートグループができているので、このような社会から隔離された日本人家族がいないことを願うばかりです。

 若い頃は、海外に住むことのハードルを簡単に越えられると錯覚しますが、子供を育てたり、日々生活していくことは決して楽ではありません。

 J君に対しても、同じような危惧の念を抱くのは、老婆心なのでしょうか?どうか、新天地で多くの人と知り合い、ネットワークを広げ、助け合って暮らして欲しいと思います。
 

 

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