2012年1月12日

なぜ甘い豆が嫌いになったのか?

懐かしい給食
先割れスプーン、テトラパックの牛乳、やよいのプリン
魚肉ソーセージ、くじら肉のから揚げ、ソフト麺ミートソースかけ
チーズかまぼこ、昭和グルメのオンパレードです



昨日、ブランチの写真をブログに貼り付けていて、「どうして、好き嫌いのないはずの私が、この甘いプレートが嫌いだったか?」考えていました。


それで、思い当たったのが、給食でした。私は昔から食べるのが大好きだった上、実家のある給食センターは手間隙かけて作ってくれていたので、とてもおいしかったです。


ところが、数ヶ月に一度、どうしても食べられない献立が出て、とても苦しかったです。とにかく取り合わせが悪すぎるのです。

メニューは


○ 白玉入りぜんざい(主菜)

○ コッペパンとマーガリン (炭水化物、エネルギー)

○ テトラパック入り牛乳 (たんぱく質)

○ ひじきの煮物(副菜)


当時は、三角食べ(少しずつ満遍なく食べ進む)の指導も行われていたので、ぜんざいを食べた後、マーガリンのついたパンを食べ、牛乳を飲むというトライアングルが気持ち悪くて仕方ありませんでした。

担任の先生にとっても給食指導はクラス運営の重要な要素であったらしく、各クラスで残飯を出さないよう、食べきれない生徒は、昼休憩もクラスに残って食べなければなりませんでした。さらに、給食がきちんと食べられない班は、全員で責任を取らされるという、戦争中の隣組のようなシステムまでありました。

もちろん、アメリカの学校のカフェテリアで、子供たちが残飯を使い捨て容器と一緒とドンと大きなゴミ箱に捨てるのも見ていて辛いことがあります。「お百姓さんが一生懸命つくってくれたのに、感謝の気持ちがない。食べ物を粗末にすると罰があたる。」とついつい心配してしまうのです。

でも、日本の学校の給食指導を今振り返ってみると、なにもそこまでやらなくてもよかったのではと思います。

給食指導のお陰で私は甘い豆、甘いおかずが食べられなくなったではありませんか!!




2 件のコメント:

  1. Keikoさんも多分私と同世代ですね。今の学校給食指導は、アレルギーの問題もあり、そこまで厳しくありません。
    息子は、小学校1年生は日本の小学校におりましたが、そのときの担任の先生のお話は、
    「ぼくが新米のころの給食指導は、本当に厳しくて、全部食べるまで席を立たない。5時間目が始まっても食べている子供がいました。最近、同窓会に呼ばれて、隣に座った子が00を食べないので、『どうしたんだ、給食では食べていたじゃないか?』と聞くと、『先生、僕、嫌いな物が出るといつもポケットに隠して、帰りに00公園(学校の近くの公園)で捨てていたんです。』本当にやり過ぎでしたね。」
    思い起こせば、当時の先生方の多くは、戦時中の食糧難を経験していたので、あそこまで厳しかったのでしょう。(サラダのドレッシングを飲んだ男性教員がいて、女の子全員で叫んだ経験あり)

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  2. なかたさま、

    今の日本は、私たちの時代のように強制はないのですね。本当に良かったです。

    確かに、私たちの子供時代は、先生も親も戦時中の食糧難の意識から抜け切れていなかったですね。家でも学校でも、お皿によそってもらったものは、ちゃんと全部食べるように言われて育ちました。アメリカに来てから「Empty Plate Club」から脱退しないと、肥満から脱出できませんよとニュースで言っていたので、私はハザマでいまだに悩んでおります。

    サラダドレッシングを飲んだ先生、私の白玉ぜんざいトライアングルよりさらに気持ち悪いです。でも、笑ってしまいました。食べ物を決して無駄にしないお手本をみんなに示したかったんでしょうか? でも、子供は引きますね。

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