2012年6月12日

映画 「MIS」 - 人間秘密兵器 - 日本と戦った二世兵士たち







数日前に、サンディエゴで上映された、すずきじゅんいち監督作品「MIS] を家族で観てきました。この映画を劇場でみることができて、本当によかったです。


私は、映画鑑賞が趣味で、ほぼ毎週映画館に通っています。ラッキーなことに、サンディエゴにはランドマークシネマという、世界中からの厳選された映画ばかりを上映する映画館が3つもあるので、私は忙しいのです。

しかし、「MIS」は、ランドマークシネマでもめったに見られないような、桁違いに魂を揺さぶられる作品でした。


映画のホームページからの概要です。

イントロダクション

アメリカ大統領ハリートルーマンは彼らをこう表現した。
“The Human secret weapon for the U.S. Armed Forces “
 (人間秘密兵器)
By President Harry Truman



ミリタリーインテリジェンスサービス(MIS)陸軍情報局は、主に日系人二世で構成されていた。二世兵士達は父母の祖国、日本と戦う苦悩だけでなく、アメリカ国内では人種差別と戦わねばならなかった。それでもアメリカに忠誠を誓って戦い、米軍勝利に貢献した。そして、降伏よりも死を望んでいた日本兵に自ら命をかけ、生き延びて日本の復興の為尽くすよう説得し、日本占領時には、日米の架け橋として日本再建に尽力し、アメリカのみならず日本にも多大な貢献をした部隊であった。 3000人のMIS兵士が第二次世界大戦中に、さらにおよそ3000人が戦後の日本占領時代に活躍した。

それにもかかわらず、秘密情報部員という性格上、MISの存在自体が長い間アメリカでは極秘扱いにされた。国家のセキュリティ機密情報解除のプロセスが開始されるきっかけとなった国家機密情報などの公式公開が始まるきっかけとなった1972年のエグゼクティブオーダー11652の発令により、MISの存在も公に知られる機会を得るが、多くの元MIS兵士たちはその後も沈黙を続けた。

映画ではこの知られざる日系史を語り、戦争と平和を考え、MISの日系人たちが如何に日本とアメリカの『国』というものに翻弄されながらも、両国の為に尽くしたのか特に日本の戦後復興を助けたのかを描く。また、本作は第二次大戦時の日系史を描く長編ドキュメンタリー三部作の最終章完結版として制作される。

第一章『東洋宮武が覗いた時代』(2008年)、第二章『442 日系部隊』(2010年)は日米各地で公開され大きな話題となり、多くの観客を感動させた。

この映画は 第一章、第二章と同様に、監督はベテランのすずきじゅんいち、音楽はゴールデングローブ賞やグラミー賞受賞者の喜多郎、その他メインスタッフも、同じメンバーである。

現在、MISの元兵士たちの平均年齢は442連隊の人たちよりもはるかに高く、多くの人は90歳を越えている。今、最後の証言をとらないと、この素晴らしい活躍を語る生の声は永遠に消えてしまうだろう。我々は製作を急がねばならなかった。

MIS の中には帰米と言われる「アメリカで生まれ、日本で教育を受けた」人たちが多数いたが、彼らの苦悩は単純ではなかった。例えば、兄弟で日本に行き教育を受け、兄は学校を終えてアメリカに戻り、一方弟は日本での学校を終える前に戦争が始まり、それぞれ兄弟同士が敵国兵士として戦った人たちが少なからずいた。人によっては、昔は仲の良かった兄弟でも、戦後は口を互いにきかなくなった人たちも少なくないと言う。

この映画は、日本ではアメリカ人として差別され、アメリカではジャップと蔑まれ、しかし両国の為に尽力した彼らの人生を描くことで、「国を愛することとは何か」、「戦争の矛盾」、「人種差別の哀しみ」、そして「平和の尊さ」を訴える。

撮影はワシントンDCから始まった。ワシントンDCでは元MIS兵士であり、元アメリカ合衆国運輸長官を務めたノーマンミネタ氏をはじめ、多くの政府関係者や元MIS 兵士たちに会った。

ハワイは米文化と日本文化が共存する場所である。ハワイには多くのエネルギッシュな元二世兵士が健在している。我々はダニエルイノウエ上議員(元442兵士)、元知事のジョージアリヨシ氏(MIS 兵士)など、多数の元二世兵士たちにインタビューした。また我々が取材したウクレレ奏者のジェイクシマブクロ氏は第二次世界大戦中の二世兵士の偉業を重んじるハワイアンの一人である。

そして日本。マグニチュード9.0の地震が日本を襲ったのは撮影隊が日本入りする2週間前であった。その被害の規模は類を見ない物であり、誰もが驚愕した。しかし世界のジャーナリスト達はこの惨状の中でも、日本人は秩序を保ちお互い協力し、助け合っている姿を見て賞賛している。そして多くの元MIS兵士は「自分たちはこれとよくにた光景を戦後の日本に見た」という。戦後日本は焼け野原となり、人々は貧しく、餓えていた。そんな中でもMIS兵士は日本人の勤勉さ、互いを思いやる心、忍耐強さを感じたのである。

日本人は懸命に働いた。MISはそんな日本人を助け、日本の復興に重要な役割を果たした。日本語を話す二世兵士が日本とアメリカの掛け橋となったのである。

サンフランシスコではプレシディオにある語学学校跡を訪問した。そこは MIS 兵士を育成する為の日本語が教えられた最初の場所である。そして、 ジュネーヴ条約に反して日本人捕虜への盗聴が行われていたという元秘密捕虜尋問センター、キャンプトレイシーをも取材した。

ロサンゼルスでは帰米であり元MIS兵士であった兄弟たちを取材した。日本に残った彼らの弟たちは日本軍に属していた。彼らは日米それぞれの兵士として兄弟同士で戦わねばならなかった。長い月日がたっても、その出来事が彼らの心に「罪悪感」という名の深い傷を残している。

全体で80人にも及ぶ関係者たちの証言を得ることができた。MISが人々に忘れ去られる前に彼らの言葉を世界に伝えなければならないという使命感からこの映画を製作したのである。








この映画の中で、帰米2世の元兵士が語られた 「自分はアメリカにいた時には日本人として扱われ、日本に行けば、アメリカ人として扱われてきました。」という言葉が印象的でした。

実際に、兄弟の中でアメリカ軍、日本軍に分かれて戦っていたというケースもあり、心が痛みます。

後からアメリカに渡ってきた私たちが、この国であまり差別をされることなく、日本人としての誇りを持ちながら生活できるのは、先人たちのご苦労があったことを忘れてはならないと、心に刻みました。

私たちぽーと会でも6月23日、日系二世のおじいさんから「一世、二世の方たちのたどってこられた歴史」「アメリカ市民であったにもかかわらず、日本の血をひく者として、収容所に入れられた経験」を伺うことになっています。




4 件のコメント:

  1. この映画の紹介ありがとうございます。
    機会があったら、是非見てみたいです。

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  2. Keikoさん
    映画の紹介ありがとうございます。ここでは、あまり海外のものや米国のドキュメンタリーを上映しないので羨ましいです。でも、地方の町に比べるとずっと恵まれているのですけどね。

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  3. Misakiさま、

    Misakiさんのお住まいの地域でも劇場公開になればいいですね。

    私は、第2作目「442日系部隊 アメリカ市場最強の陸軍」を見損ねたので、DVDを日系書店(ここでは、三省堂書店)で買うことにしました。

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  4. ひさのさま、

    私も、海外もの、ドキュメンタリーが大好きなのですが、そういう作品は、映画館の「小部屋」で上演ということが多いです。

    映画館がつぶれないように、一生懸命マイナー映画をみ続けて、ささやかな応援をしています。

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