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2012年4月15日

日本発の社会貢献運動「TABLE FOR TWO」
















ここ数年、日本に一時帰国するたびに、マスコミや駅の売店、町のレストラン、などで見かけることが多くなった「Table For Two」の活動が気になっていました。

創設者の小暮真久さんの著書を日本のアマゾンから本を取り寄せて読んでみると、この活動が大変ユニークで、魅力があることに気がつきました。

発展途上国の飢餓の問題と、先進国の肥満、健康問題、南北問題など一気に解決してしまうという発想に感心しました。

又マッキンゼーで戦略コンサルタントとして活躍した著者が社会企業家になるまでの過程も大変興味深いです。

非営利団体であっても、達成目標、提携、組織、宣伝、成果のフレームワークを用いてきちんと運営していかなければならないという視点が新鮮でした。

又、著者が苦労覚悟で社会企業家に転身されたということにも心を打たれました。

私自身、ぽーと会で子供たちを対象にしたキャリアセミナーを続けていく中で、彼らが描く将来への思いが自分たちだけの幸せを求めているのではないことに気づきました。

「自分だけが金持ちになったり、この世の名誉だけ求めるのではなく、もっと社会を良いものにかえたり、他の人と一緒に喜べるような仕事につきたい。」という心から願っている子供が多いのです。

今週末は、サンディエゴのTable For Twoの代表者の上島 カー 真弓さんを講師にお招きし、子供たちのために「キャリアセミナーとTable For Twoの説明、アフリカ料理とアフリカ音楽の夕べ」を開催することになりました。




2012年4月1日

うれしいお知らせが続々

お友達が送ってくれたカールスバッドの花畑の写真
写真もきれいですが、実際に歩いてみるとスケールの大きさに圧倒されます。


最近、シニアのお子さんのお母さんたちから嬉しい合格のお知らせをいただきます。

家族で頑張ってきたのを間近で見てきたので、私もわがことのように喜んでいます。

これから、パッケージを検討し、アドミッションオフィサーと折衝を重ねていく予定の人もいますが、すでに決めている人たちもいます。

決め手になった理由はいろいろあります。
「子供の頃からあこがれていたから。」「やりたい分野の勉強がここでできるから。」 「コーチが感じがいいから。」「チームで活躍できそう」「メリットスカラシップが手厚い」「オナープログラムに感動した。」「5年間で修士が取れる。」「在校生と話してみて、本当に楽しい大学生活が送れそうだと思う。」「海外プログラムに魅力を感じ、ここしかないと思った。」など、人それぞれ違います。

自分の努力はもちろんのこと、ご家族、先生方、コーチ、友達みんなに支えられて、合格にこぎつけました。勉強だけでなく、スポーツ、ボランティア、リーダーシップ、アルバイト、と目いっぱい頑張ってきた子供たちとご家族に、心から「おめでとう!!!」と言う今日この頃です。

2012年2月2日

数値に惑わされないように気をつけなければ!



ぽーと会で、セミナーをしてくださった先生方はみなさん口をそろえて「ランキング等の数値にまどわされないように、自分の子供に合った大学を時間をかけて探してください。」と教えてくださっています。

私たち日本人親は偏差値で育ってきているので、US News等のランキングで大学の良し悪しを見てしまいがちです。第一、それで判断するのが簡単です。しかし、数値の工作も裏では色々行われているみたいです。

Lynnさんのブログで面白い記事を見つけました。
http://www.thecollegesolution.com/colleges-and-universities-that-cheat

SATのスコアーを偽装していたのは、最近話題になっているClaremont Mackenna Collegeだけのことではなく、以前から他の多くの大学でも操作が行われているようです。

Baylor Universityなど、入学する学生に対してSATを再度受けて、スコアーが50ポイント上がったら奨学金を年に1000ドル増やしてくれると大学のホームページで明記しています。再試験をうけるだけでも、大学内の本屋さんの300ドル分のクレジットをくれるというのですから、学生にとってもメリットが大きいです。


Freshmen get $300 to retake SAT

Oct. 9, 2008
By Liz Foreman and Ashley Corinne Killough
Asst. City Editor and Staff Writer


Baylor offered the class of 2012 a $300 Baylor Bookstore credit and potential scholarship incentives to retake the SAT in June, after they were already accepted and enrolled.
An e-mail sent in June to incoming freshmen stated that students who chose to retest would automatically receive a $300 credit to the bookstore.

If a student scored 50 points or higher on the retest, they received an additional $1,000 a year to their scholarship package.


対外的にスコアの見栄えを良くするために、大学は手段を選ばないのですね。

教育機関もビジネスなので、親の私たちも聖域と考えずに、きちんとスミからスミまで、ある程度疑いの目を持って大学の中身を見極める必要があると改めて考えさせられる記事でした。


2012年1月23日

お父様から見たアメリカ大学進学



今日は、清泉貴志先生から、お父様のアメリカ大学進学体験を伺いました。

先生ご自身が、日本でお医者様としてのキャリア、MBA, アメリカ企業で就職、起業、投資家としていくつものキャリアを経験されているので、「人間の興味は変わるものです。」という言葉に重みがあります。

大学受験といえば、すぐに数値で表されるもの(ランキング、SATスコア、GPA等)にとらわれがちですが、先生は、「大学名はあまり関係ありません。4年間でどのようなネットワークを築けるか、教授とどれほど親しい関係を持てるか、サイエンティストとしてやっていくなら、PhDを取るための下準備ができるか、など、全て本人次第です。」とおっしゃいました。

一番心に残ったお話は、「人間の幸せとは、チョイスの自由があることです。チョイスの種類が多いほど、幸せの度合いが増します。大学で学ぶ目的の1つに、人生のチョイスを増やすということがあります。」ということでした。

セミナーを終えて帰宅すると、今日参加された方からお礼のメールを何通か頂いておりました。みなさん、この「チョイス」という言葉に心を打たれたと書いてくださっていました。

大学受験のお話を伺う予定が、「人間の真の幸せとは?」を深く考え直すきっかけになりました。子供たちの人生をもっと大きな絵として思い描けるようになったことが感謝でした。

みなさんからの、「お話を伺って、心の霧が晴れました。」「もっと、子供を大きな目で見てやろうと思います。」「元気になれました。」というコメントが嬉しかったです。

清泉先生に、「今度は旅立つ子供たちにエールを送ってやってください」。とお願いしました。人生の先輩から子供たちが一生忘れない心の宝物を頂けることでしょう。

2012年1月14日

雇用不安




昨日のブログで、夫が失職したかもしれなかったという話を書きました。

友達や親から電話をもらいました。

「ドキッとしたよ。まだ仕事があってよかった。」
「全然ひとごとじゃないよ。うちも同じだよ。」
「避難訓練としてよい経験になったでしょう。」

などというコメントを頂きました。

鋭い指摘として、
「これからは、口では慰めることを言っておいて、その一方で頭の中では計算機をはじくという、二重構造にしておいたほうがいいのでは。人間的な熟練度をさらに上げるように。」というアドバイスもありました。

そうですね、大変よい経験をさせていただきました。何事も無駄な経験はないと言いますものね。


夫は、Fortune500社の中のかなり上位のエネルギー会社で働いています。日本の親戚は、「公務員の次に安定だね」とほめてくれたくらいでした。しかし、この20年、エンロン事件、金融危機など社会的な要因も影響して、いつも仕事は過酷で、雇用も不安定、レイオフも経験しています。

今の時代、会社の規模が大きくても、比較的安定した業種についていても、本人が努力を重ねコンスタントに結果を出し続けても、決して雇用が保障されているわけではありません。

私たちが育った時代は、「真面目に勉強して、いい大学に入り、男は大きい会社に入り、女はそこで働く男と結婚すれば、一生安泰」と言われていました。でも、その神話は崩壊して久しいです。

まして、今後私たちの子供たちが仕事につくころは、さらに状況は厳しくなっていくことでしょう。大学選び、キャリアをきちんと考えなければならないと、再認識させられたできごとでした。